系図では、初代十良左衛門義澄は、白鳥舘居住から浪人(士官していない武士)となり赤生津村に移り(1回目)、田畑を耕し農民になると伝えられます。2代義則は、浪人で北畑屋敷移り(2回目)、3代義則も浪人。4代将監で現在の畑屋敷に移り(3回目)、百姓で田畑を集めて繁盛するとあります。 初代が住んだ場所、2代の北畑屋敷、4代から畑屋敷とあり、住居を変えていますが、どのような理由で転居したかは不明ですが、屋敷守りの祠が拠点となるようです。分家の安部万王氏によると、大昔はあちこちに潜んで暮らしていたのではないか。安部の神社といわれる祠の調査も必要と思われます。 (1)安部家「大明神」(祠) 屋敷守り神と言わ…