序文・死去の謎 堀口尚次 穴山信君(あなやまのぶただ)/武田信君は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田氏の家臣で御一門衆の一人。穴山氏7代当主。 壮年期〈天正8年頃〉に剃髪して梅雪斎不白(ばいせつさいふはく)と号したので、穴山梅雪の名でも知られる。後代には武田二十四将の一人に含まれており、南松院所蔵本では信玄の傍らに配置されている。信玄末期より仕え勝頼期にも重臣として仕えたが、織田信長の甲斐征伐が始まると武田氏を離反した。 天正8年、出家し梅雪斎と号した。天正9年12月、勝頼の寵臣・長坂長閑、跡部勝資らを憎み、織田信長に内通し始め、翌年2月、勝頼が娘を信君の嫡男に娶らせる約束を反…