国というより、各大学が自覚すべき問題であって、その性か大学には“危機感”があるモノと考えます。第二次世界大戦後の今日まで、既存を含めて計約800の大学の創学を許可してきたのでしょうが、旧帝国大学以外には、目立った功績を残してきませんでした。これが何を意味するのかと言いますと、『學』に対する指標や目標があやふやになったということでしょう。 大正8年の大学令施行後、市民の多くが全てを学ぶことは不可能だったでしょうが、個人の家庭での資力次第では、研究やより高度の学問を収めることができるという証明をしてきたのが、大学数の増設に役立ったのでしょう。本来、万民が学ぶべき「学問」は、一般レベルの誰でもが教養…