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大亀ガウディの海

(読書)
おおがめがうでいのうみ

大型絵本。地球環境破壊の寓話。

大亀ガウディの海

大亀ガウディの海

(古屋和子の語り)

ヒロシマ・ビキニ環礁・水俣・原発から誕生した「大亀ガウディの海」は、35年前に水族館の海亀との出会いから始まりました。ある台風の日のことでした。当時学生の私は、東京の不忍池の湖畔にあった上野水族館に出かけたことがあります。台風の日の生き物は、どういうわけかとても自由でワイルドな感じに見えますね。外の自然を感じるからでしょう。水族館の中でその時、特別大きな水槽の中で飼われていた一匹の大きな海亀を見たのです。

しかしこれはどう考えても、海亀を見たというより海亀と出会ったと言う方が適切のような気がします。大亀は目に涙を浮かべているようで、しきりにもがき苦しんでいるように見えたのです。チラリと海亀の目と合ったとき、私はつい冗談半分に呼びかけてしまったのです。「大亀さん、いったいどうしました?どうしてそんなに苦しそうにもがいているのです?こんなに設備のいい水族館にいるのにね。私にできることがあったらなにかしてあげますが、どうしたらいいですか?」と。

私は言葉を発せず、ただ目をまばたきさせながら大亀に尋ねてみたのです。するとその瞬間、驚いたことに大亀の目が、電光石火のように輝やくと、すぐに答えたのです。「なにを馬鹿なことをぬかす。お前は自分自身だって助けられないくせに、他の動物を助けてやろうだと!おれの願いは、ただもと住んでいた大自然の海へ帰りたいだけだ。早く本当の海へ帰りたい!ここから出してくれ!」と答えたのです。     

「えぇー、水族館の外ですか?そうですか、それは困ったな。どうやって連れ出すか。この大きなプールから・・それにどうやって海に逃がしてやるか?」出来もしないのに、とんでもない請負を私がしたことにすぐに後悔してしまったのです。でもなんとかしたい。そこで私は大亀を水槽から連れ出そうと、すぐに大学の図書館にこもって考え始め、そして長い大亀の物語を書き始めたのです。

しかし物語りの完成には、実際には30年間がかかっていたのです。その間、あらすじもいろいろと変わりました。最初、大亀は水族館から海に脱出するには成功したが、海が汚れて生きていけなくて、そのまま南の海で沈んでしまったという単純な物語になったりしたのですが、幸いなことに、執筆の最終段階では、大都会の公園の大きなけやきの木の下で、友人の助けを得ながらお話しを完結することが出来たのでした。

そこは大都会の中に残されているオアシスのような林の中でした。毎日、鳥の声を聞きながら、大空に向かって伸びているケヤキの大木の下で、ひたすらに物語を語り続けたのです。そう、大亀の目を思い出しながら、自然の精霊の助けを借りながら、まさに物語りを編んだのでした。結局30年もかかってしまいました。「すみません、大亀さん、大変遅くなってしまいました。こんなに時間がかかって申し訳ありません。」

その時には、不忍池の湖畔にあった水族館はすでに遠くに移転しておりました。そしてその大亀がどこにいったのか、わかりませんでした。しかし確かに言えるのは、海亀の涙に触発されてこの物語が生まれたということです。これも人生の中の大事な出会いのひとつに違いありません。人間は人間から学ぶと同時に、自然の動植物から学ぶことがたくさんあるのです。どんな生き物も一生懸命に生きようとしている。一生懸命に生きようとしている存在からは、無限に学ぶものがあるのです。

これがアジアの16言語で翻訳出版された「大亀ガウディの海」の物語を書き始めたきっかけともいうものでした。そしてまず日本語を母語として英語に翻訳され(T.M. Hoffman)、英語版からベンガル語、韓国語、フィリピン語、ネパール語、ラオス語、シンハラ語、ミャンマー語、イラン語、ウルドゥー語、インドネシア語、タイ語、マレー語、ヒンディー語、ベトナム語、マラティ語などへ翻訳出版されていったのです。




2010年2月20日に宮城県気仙沼で開かれた「大亀ガウディの海」の語りの会の感想です。語りに参加された気仙沼の方々は、今年の大津波で被災されています。


はじめまして。今回「大亀ガウディの海」の古屋和子さんの語りを気仙沼で催させていただきました。以前 一ノ関で 聞く機会があり 大変感動いたしまして 是非 たくさんの人に聞いていただきたいと 思い企画しました。

これまで私は青森の六ヶ所の原子力発電所に反対する運動に関わったりしてきました。 見えない放射能で人間が人間を傷つけ 死に至らせるという そして それは 本当に無責任に 無自覚に 行わされていることに そして私自身も またその中の仕組みの一部分であると知ったとき ものすごく衝撃を受けました。

放射能を最たるものとして 人間が己れの利益のために 地球を汚し その他 多くの生き物を傷つけ 殺しているということは 知識として 知ってはいました。しかし 生き物たちの悲しみや苦しみまで これまで思い至ることはありませんでした。

今回の語りを聞いて 人間の責任を痛感しました。人間が起こしていることは 人間にしか 止めることができないのだと。ガウディは自分の身を犠牲にして大切なものを守りました。奪われては いけないもの奪ってはいけない大切なものを私もガウディのように守りたいと思いました。ガウディの叫びは 生き物全ての叫びだと感じています。生き物たちの声にはならぬ声を作者が聞き取ってガウディを通して語らせ そして古屋さんがガウディの思いを語りに乗せて 私たちに伝えてくださったのだと思います。

語りの会の当日 来てくださった方々は 小学生から大人まで様々でしたが 語りを食い入るように 皆 一生懸命 聞きいってました。ガウディの思いが伝わって涙している人もいました。とでも 拙い感想で申し訳ありません。でも 本当に 素晴らしかったのです。この感動がどうか伝わりますように! (2010年2月20日、気仙沼)

http://www.youtube.com/watch?v=M_kTklCcHHw

現代の海の環境の中を生きる自然の生き物たちを、一匹の海亀の生き方を通じて、人間社会のありかたを寓話的に描いています。この絵本の着想は、1954年3月、太平洋ビキニ環礁での米国の水爆実験で被ばくした第五福竜丸と自然の生き物の声を代弁しようと、30年前に執筆されてインドのラマチャンドラン氏によって絵本化された物語です。20年も前から始まっている原発の温排水によって、海に垂れ流しになっている放射能汚染にも触れています。


原子力の恐ろしさと大自然の嘆きの声を表現した絵本では、世界でも極めてまれな絵本ともいえますが、日本人の作家とインド人の著名な画家(A.ラマチャンドラン)との共同作品として、東京のディンディガルベルから刊行されています。また英語版はオックスフォード大学出版から1999年に刊行されており、アジアの国々では、インド、イラン、韓国、タイ、ベトナムをはじめ17カ国で翻訳刊行されており、日本ではこの物語の語りが、平家物語の語りで知られている古屋和子さんによって日本全国で行われています。


昨年の2月には気仙沼でも行われました。日本ではまだまだ知る人のみぞ知るといった絵本ですが、福島原発の悲惨な事故などによって、この物語を耳にする参加者の多くは海亀の凄絶な運命に涙しています。この絵本は、何世代にわたって読み継がれていく絵本と内外で高い評価を受けていますが、韓国では9刷りのベストセラーとなっています。

<ヒロシマ生まれの筆者は、核廃絶の訴えを自然を含む動物の視線も感じながら、これまでに「びっくり星の伝説」や「沈黙の珊瑚礁」などの作品で、人間の科学技術に警鐘を鳴らし、核兵器や原発の恐ろしさを早くから予言していましたが、今日の福島原発の惨状を考えると、日本中の多くの人々、とりわけ多くの子どもたちに読んでもらいた必読書です。1995年に南太平洋でフランスが核実験を宣言したとき、この本はフランスのシラク大統領に抗議文とともに送られたそうです。

現代インドの美術界の最高峰であるA.ラマチャンドランが、インドの曼荼羅の哲学をわかりやすく表現した感動的な大型絵本です。この物語は、21世紀の必読書として、世界各国で絶賛された「環境絵本」の決定版です。東京にベースを置く出版社ーディンディガル・ベルによる処女出版で、世界17か国語で翻訳され愛読されてきた田島伸二の創作を、インドのラマチャンドランが宇宙の曼荼羅のスタイルで感動的に描いたものです!多くの図書館が購入しています。日本語版と英語版と韓国語版が刊行されています。

イラストは144ページ全カラー。追い詰められた地球に住む海の無数の生物たちの叫び声が聞こえてきます…。
Dindigul Bell Publishing
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E4%BA%80%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%81%AE%E6%B5%B7-%E7%94%B0%E5%B3%B6-%E4%BC%B8%E4%BA%8C/dp/499025810X
「大亀ガウディの海」
作 田島伸二
絵 A.ラマチャンドラン

日本語版  ISBN4-9902581-0-X
英語版Gaudi's Ocean (英題) ISBN4-9902581-1-8
B4変型 / 並製 / 全ページカラー143頁 /
ディンディガル・ベル刊
定価 2625円(本体2500円+税)
全国書店で注文できます。また直接「ディンディガルベル」(下記参照)でも注文できます。

(発行元・注文先)ディンディガル・ベル 
〒123-0842 東京都足立区栗原3−23−3
E-mail dindigul@kxe.biglobe.ne.jp <筆者のあとがき>

35年も前の、ある台風の日のことでした。当時学生の私は、東京の不忍池の湖畔にあった上野水族館に出かけたことがあります。台風の日の生き物は、どういうわけかとても自由でワイルドな感じに見えますね。外の自然を感じるからでしょう。水族館の中でその時、特別大きな水槽の中で飼われていた一匹の大きな海亀を見たのです。

しかしこれはどう考えても、海亀を見たというより海亀と出会ったと言う方が適切のような気がします。大亀は目に涙を浮かべているようで、しきりにもがき苦しんでいるように見えたのです。チラリと海亀の目と合ったとき、私はつい冗談半分に呼びかけてしまったのです。「大亀さん、いったいどうしました?どうしてそんなに苦しそうにもがいているのです?こんなに設備のいい水族館にいるのにね。私にできることがあったらなにかしてあげますが、どうしたらいいですか?」と。

私は言葉を発せず、ただ目をまばたきさせながら大亀に尋ねてみたのです。するとその瞬間、驚いたことに大亀の目が、電光石火のように輝やくと、すぐに答えたのです。「なにを馬鹿なことをぬかす。お前は自分自身だって助けられないくせに、他の動物を助けてやろうだと!おれの願いは、ただもと住んでいた大自然の海へ帰りたいだけだ。早く本当の海へ帰りたい!ここから出してくれ!」と答えたのです。     

「えぇー、水族館の外ですか?そうですか、それは困ったな。どうやって連れ出すか。この大きなプールから・・それにどうやって海に逃がしてやるか?」出来もしないのに、とんでもない請負を私がしたことにすぐに後悔してしまったのです。でもなんとかしたい。そこで私は大亀を水槽から連れ出そうと、すぐに大学の図書館にこもって考え始め、そして長い大亀の物語を書き始めたのです。

しかし物語りの完成には、実際には30年間がかかっていたのです。その間、あらすじもいろいろと変わりました。最初、大亀は水族館から海に脱出するには成功したが、海が汚れて生きていけなくて、そのまま南の海で沈んでしまったという単純な物語になったりしたのですが、幸いなことに、執筆の最終段階では、大都会の公園の大きなけやきの木の下で、友人の助けを得ながらお話しを完結することが出来たのでした。

そこは大都会の中に残されているオアシスのような林の中でした。毎日、鳥の声を聞きながら、大空に向かって伸びているケヤキの大木の下で、ひたすらに物語を語り続けたのです。そう、大亀の目を思い出しながら、自然の精霊の助けを借りながら、まさに物語りを編んだのでした。結局30年もかかってしまいました。「すみません、大亀さん、大変遅くなってしまいました。こんなに時間がかかって申し訳ありません。」

その時には、不忍池の湖畔にあった水族館はすでに遠くに移転しておりました。そしてその大亀がどこにいったのか、わかりませんでした。しかし確かに言えるのは、海亀の涙に触発されてこの物語が生まれたということです。これも人生の中の大事な出会いのひとつに違いありません。人間は人間から学ぶと同時に、自然の動植物から学ぶことがたくさんあるのです。どんな生き物も一生懸命に生きようとしている。一生懸命に生きようとしている存在からは、無限に学ぶものがあるのです。

これがアジアの16言語で翻訳出版された「大亀ガウディの海」の物語を書き始めたきっかけともいうものでした。そしてまず日本語を母語として英語に翻訳され(T.M. Hoffman)、英語版からベンガル語、韓国語、フィリピン語、ネパール語、ラオス語、シンハラ語、ミャンマー語、イラン語、ウルドゥー語、インドネシア語、タイ語、マレー語、ヒンディー語、ベトナム語、マラティ語などへ翻訳出版されていったのです。

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  日本語版


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 インド(マラティ語版)

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 (ネパール語版)

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 タイ語版


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 オックスフォード大学出版局刊行(英語版)

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環境問題の背景

この物語が生まれた背景を考えてみると、(私の出身母校ー和田小学校の1年生であったころ)、1954年3月に第五福竜丸という静岡の漁船が、太平洋のビキニ環礁沖で行われたアメリカの水爆実験で、23人の乗組員全員が被爆し死傷するという事件があったことを思い出します。原爆で被爆した漁船員の姿、原爆マグロを、小学校の「光の教室」という巡回映画でも見て、小学校1年生とはいえ大変大きなショックを受けたのですが、それは9年前に広島に投下された原子爆弾と重なってみえたからです。

私が生まれたのは、広島市から60キロ離れた三次という町で、幼少の頃よりヒロシマ原爆の恐怖や悲惨な話を親戚や被爆体験者などから聞いて育った世代です。原爆で被災された人々の救出に向かった近所の人々は、原爆の残存放射能で被爆しておられました。こうした体験が下地にあっただけに、原爆によって、漁民が死傷したり、被爆したマグロが大量に廃棄されたというニュースは、大きなショックを幼心に強烈に植え付けたものでした。

大人が感じる不安以上に、子どもは柔らかくまるでスポンジが水を吸収するように、すべてを吸収しているのです。喜びも不安も悲しみも・・・そして感じたのは、原爆は過去のものではなく、今も太平洋上では実験が行われていること・・・そして人生は夢や希望だけではない、底知れない恐ろしさや危機を感じたことです。実存的な意識の芽生えでした。

1960年代は、水俣病やイタイイタイ病など、日本の高度成長経済の下で、次々と深刻な環境問題が発生した環境の中にありました。私は公害で苦しむ人々の気持ちを感じながら成長した団塊の世代に属していましたが、その中で痛感したことは、人間による環境問題で苦しんでいるのは人間だけではない、実は海や陸や空に住む無数の生物や動物の存在もあったということです。しかし自然の動植物や生き物は、人間のような雄弁な言葉をもっていないので、いつも全身でかれらの苦しみや悩みを表現しているということです。

水俣病で水銀中毒になった子猫が、苦しみの余り踊り狂うさまは実に恐ろしいものでした。北海のあざらしは、廃棄された原子力潜水艦の放射能によって、数千頭が一度に海岸に打ち上げられたり、身近には工業排水によって小川の鯉がすべて死んで白い腹を炎天に向けて流れていくさまなど、日本列島が、春になっても小鳥の歌わない、みみずも出てこない、虫も見当たらない“沈黙の春”がやってきているようでした。そしてチェルノブイリ原発で起きた大事故は、人間の文明は莫大なエネルギーを得ようとする余りに、危機的な文明の絶壁に立っているという警鐘でした。そして21世紀に入ると、環境問題は、あっという間に地球全体を覆いつくし、細胞の隅々まで汚染され、しかも氷が溶け始めて追いつめられた北極のアザラシや鯨は生存を求めて大海洋を彷徨い始めたのです。最大の課題は、エネルギーをとりだすということで世界に設置されている原子力発電所の存在です。日本にも54の原発をかかえて、それは地震や津波などの脅威に直面しているのです。


1995年、太平洋8カ国のユネスコの図書開発会議を開催するため、フイジーに行ったとき、南太平洋大学の学長コナイ・ヘル・タマンという人類学者に出会いました。そして“大亀ガウディの海“の本を贈呈すると、彼女は一晩で読破し、「今日の環境問題や核問題を考えると、この本は太平洋のすべての国の人々が読まなければならない必読書だと思います。これは太平洋を決して核の廃棄場にしてはいけないというメッセージです。海を汚してはいけないのです」と力説されました。ちょうど同年には、フランスが、太平洋のムルロワ環礁で核実験を強行しようと画策している時期でした。

私は、フイジーから帰国すると、すぐにフランスのシラク大統領に、この本の英語版を抗議書簡とともに送ったのです。「シラク大統領殿、貴殿の言われるように核実験が人畜無害だと言われるなら、今回の核実験を太平洋の美しい環礁でやるのではなく、なぜパリの凱旋門やエッフェル塔の地下でやらないのですか。それともフランスの旧植民地の人間は、焼いて食おうと、煮て食おうと、すべてフランスの自由だと言われるのですか」と尋ねました。しかしその答えとは、美しい太平洋の環礁に放射能まみれの大きな陥没を作ることに成功したニュースでした。サンゴ礁が高度の放射能で汚染されてしまったのです。核実験は、このあとも中国、インド、パキスタン。北朝鮮と続いており、そして核大国のアメリカは、現在でも臨界内核実験を数十回も強行しているのです。そして、中国やインドをはじめ、経済活動が活発化し始めたアジア地域では、環境破壊の中で貧しい人々はますます貧困に追い詰められ始めたのです。 

今の世界が求めるもの

しかもこれまでは汚染の有様を目や感覚で把握することが可能だったのに、今日では目には見えない遺伝子操作や染色体の移し変えという新しい環境問題も浮上してきているのです。こうした状況の中から生まれた「大亀ガウディの海」の物語は、恐らく追いつめられた海の生物から頼まれたものではないかと思ったぐらいです。そして、この物語の最初の本は、リアリティと想像性を駆使したイラストを描いた田島和子による英語版をもとに、アジアの国々では、16カ国の16言語に翻訳されて出版されていきました。

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<刊行と書評について>

子どもから大人まですべての人々のための環境絵本。生きるとはなにか、大自然を破壊した人間に対する自然の叫びについて熱く語る本で、21世紀の必読書として世界で絶賛されており、物語はすでに17か国で翻訳出版されている。日本では古屋和子のよって語りが全国で行われている。「ヒマラヤのふえ」などで有名なラマチャンドラン氏は現代インド美術界の巨匠であり、氏はこの作品のために新しいスタイルを用いて表現し、他に例をみない感動的で魅力的な本となっている国際共同作品。 英語版はT.M.Hoffman翻訳  韓国語版はKnag Woo-Hyon翻訳


「人間は絶え間なく文明を発達させてきたが、その結果は道理なき自然破壊だった。人間は宇宙においてごく一部であるとの認識をこのように鮮明で単純な話として描くことが出来るのは驚くべきことだ。・・・・・・・・・・・・・・」(東亜日報(韓国))

全世界13言語に翻訳された実に感動的な物語だ。大都市水族館を脱出した大海亀のガウディは、夢みていた故郷の海に帰ることに成功するが、故郷の海は環境汚染で破壊された状態。ガウディの愛する大亀ロッテイも核実験の放射能汚染で病んでいる。ロッテイの病気を治そうと生命の木を捜そうとしたとき, 人間たちはその木近くで核実験をしよう試みている。.ガウディは命をかけてそれを阻もうとする。ガウディの運命はどうなるか。環境破壊で苦しんでいる動物たちが叫ぶ “自然をそのままに私たちに返してくれ!”(韓国日報」

「日本人の書いた寓話集がこれだけ広くアジアで翻訳され出版されることは珍しい。この寓話には現代を考えさせる多数のメッセージが含まれており、自由や幸福、そして深刻な環境問題を考えさせる。(朝日新聞)
     
「英語版をもとに多数の言語に翻訳されたこの物語は、CDのアニメーションでも製作されているが、内容は子どもから大人まですべての年代の人々が楽しめるもので、海亀の目を通して、人間の貪欲で深刻な自然破壊の様子を想像力豊かに描きだしている。」(オックスフォード大学出版局)

<作者について>
田島伸二
約30年にわたりアジア・太平洋地域での識字教育や基礎教育で活躍。1997年にICLC国際識字文化センターを東京に設立。創作分野の著書に、「ビックリ星の伝説」、「雲の夢想録」、「さばくのきょうりゅう」、「ゆきやま」など。各国の画家との共著多数。主要な作品はオックスフォード大学出版局より英語版が出版されている他、アジア各国の27言語で翻訳出版されている。第1回ベルリン国際文学祭(2001)などに招請を受け、作品を朗読した。第20回講談社出版文化賞受賞など。東京在住

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A.ラマチャンドラン
1966年より個展を開催し始め国家絵画賞を受賞。その後「ヤヤティ」や「蓮池」シリーズを発表し、現代インド美術界に大きなセンセーションをまきおこし、今日現代インド美術の重鎮として活躍している。日本では絵本作家として知られ、「おひさまをほしがったハヌマーン」、「ヒマラヤのふえ」(福音館書店、木城えほんの郷刊)、「黄金のまち」などが刊行された。2005年、インドの大統領より最高位の文化勲章を受章。この「大亀ガウディの海」は、A・ラマチャンドランが他の作家の書いた寓話に、イラストを描いた唯一の作品である。ニューデリー在住。

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Gaudi's Ocean has been translated from the Japanese. It is a story about a turtle's efforts to save Nature from the greed of human beings. Gaudi, a sea turtle, escapes from his aquarium after forty years in captivity only to discover that his once beautiful home is now a fouled ocean. Instead of happy, healthy sea creatures, he meets hundreds of sick animals who have been maimed by underwater nuclear experiments. His inspiring efforts to save them form the substance of Gaudi's Ocean.

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