大乗仏教は本来の仏教の教えではないとする言説。 大乗仏教(マハーヤーナ)の経典(経とは釈迦が説いた話をまとめたもの)は釈迦本人が説いた教えではなく、後代になって勝手に記述されたものである事からこの説が説かれた。 (この事が問題とされるのは北東アジア限定となる。他の地域はスリランカからイギリスを通して原典の仏教経典が広まっているために問題となる事は少ない。)
日本に仏教が伝わってきてから1000年間以上、仏教がブッダの教えと一致しないと日本人は夢にも思っていませんでした。もっと言えば、現在も、ほとんどの日本人はそれを知りません。 日本に伝わった大乗仏教がブッダの教えと異なるようだ、と日本人が初めて気づいたのは江戸時代のようです。それまでの日本人は、空海、最澄、親鸞、日蓮などの著名な僧侶を含め、仏典に書かれた教えは、ブッダ本人が語ったものと信じて疑っていません。日本人は古代サンスクリット語を解さないので、中国で翻訳された漢字の仏典を勉強したのですが、原典と対照して、その違いを探して、翻訳者の意向を除去することで、原典の著者の考えを求める、という科学的…
キリスト教とかイスラム教とかと違って、仏教は教えの核となる聖典(お経)そのものがいっぱいある。古今東西に色んな学派や宗派があるけど、その違いを生む大きな要因の一つとして、いかなる経典に依るかというところがある。 でまあ、それぞれの学派・宗派がどの経典に依拠しているかというのは、そのそれぞれの話をするときに見るとして、今日問題にしたいのは、それぞれの学派が「それ以外の経典」をどう位置付けているか、ということである。一つのアプローチとして、もう無視する、というのもありうるのだろう(浄土系なんかはそれに近いのかな?)が、多くの学派はそうではなく、「他の経典よりも自分の依拠する経典がエラいんだ」という…
著者の安冨信哉(1944-2017)が亡くなったあと、2018年に真宗文庫として再刊されたもの。 以前に末木文美士の論文集『日本の近代仏教』を読んだが、今回の本は、あくまで浄土真宗大谷派の「近代教学の伝統」の視点から明治大正期の社会の中での仏教の動きを描き出したのものだ。そのため、末木の本にあったような批判的で客観的な分析(たとえば近代仏教を仏教モダニズムと葬式仏教との重層性にみるような)はない。 むしろ宗派の自己賛美の雰囲気が濃厚で、その分だけストーリーとしてわかりやすいがやや底が浅い感じがした。ただ、宗派内の事情にうとい僕には、いくつもの発見があった。 まず、末木の本にあったように、日本の…
千葉雅也さんと清水俊史さんに共通するところとして、カントにしても、ブッダにしても、できるだけ、すごい人だったというバイアスに気をつけて研究するということ。 それでもすごい人だったとなるのだろうけど。確かに神格化することが誤読にはつながるのかもしれない。というか、清水さんの本から考えるとつながるのだろう・・・。 大学生の頃に大乗非仏説に信仰者として向き合ったけど、究極的には誰が言ったかは問題ではないんですよね。ある命題が真である時、誰が言おうと真です。この地球のある人間だけが正しいことを言っているとすると、その人がいない時代の人は救われない。仮に地球外生命体として宇宙人がいたとしても、その人たち…
考えさせられるところがいっぱいあった、今まで学んできたことにつなげて。ブッダもプラトンもそうだけど、凄まじい影響を人類に与えている。例えばブッダの解釈が誤読だったとしても、その解釈が社会を良い方向に変えるようなこともあれば、戦争に利用されるようなことも歴史には、あった。よかったとか悪かったとか、一概に言えるようなものではない複雑な様相。初期の仏教徒とは、その後の仏教は同じ部分がありつつも、違ったものになっている。僕は大乗非仏説を大学生の時に学んで、信仰とどう折り合いを理性的につけて行けばいいのかという問題に向き合ったりしたけど、初期仏教は初期仏教として区別するけど、その後の解釈に解釈を重ねてい…
・『ブッダの 真理のことば 感興のことば』中村元訳 ・『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳 ・『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元 ・ブッダの遺言「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」~自灯明・法灯明は誤訳 ・村上専精と宇井伯寿・『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿 ・『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿 そのくらい厳しい先生でしたが、この先生にして、そのさらに前の先生に叱られたことがあるのです。村上専精(せんしょう)先生といって、「大乗非仏説」などを提唱された方で、その他の面でも当時としては斬新な考え方の学者で、博学な先生で…
双麻 (183.180.150.92) 2023-10-01 16:49:05 ショーシャンク様、はじめまして。 HNを双麻(そうま)と申します。 著書を拝見させて頂き強く感動し、こちらのブログも始めから 少しずつ読ませていただき、勉強させて頂いております。 私は恥ずかしながら現代日本人的無知さで、神社は好きでも仏教には お墓や葬式などの陰気臭いイメージがあり、 最近まで興味を持てずにいました。 しかし、数年前に妻の希望から観光で訪れた寺院より帰ってしばらくすると その場所で特に何か感銘を受けた出来事は無かったはずなのに なぜか妙に仏教が気になりだし、学び始める事になりました。 最初は観光で訪…
バウッダ[佛教] (講談社学術文庫) 作者:中村 元,三枝 充悳 講談社 Amazon 労働が忙しくて、読んでからだいぶ日が空いてしまい、記憶からかなり抜けてしまった。悲しいなあ。しかしながら、釈尊の述べるニッバーナ、悟りというのは、そもそも、釈尊自身の言い方からして、働いている人間(と家庭のある人間)には到底不可能だ。現代社会において悟りに相対的に最も近いのは、身寄りのない無職である。僕は別に大金持ちになりたいわけではないが(なれる見込みもないが)、今のところ労働それ自体にそれなりのやりがいや満足感を見出している。そういう人間にとって、悟りは、目指す資格すらないのかもしれない。悲しいなあ。 …
高橋一郎師のエッセイを読むと、何度か曽我量深(1875-1971)のもとを訪ねている。曽我量深といえば、若くして清沢満之の弟子となり、浄土真宗の宗門ではとても尊敬されている碩学であることは、時々聞法の場に顔を出すくらいの僕でも知っているところだ。 現在新刊で入手できる一番読みやすそうな本を取り寄せて、読んでみた。読みにくい部分は多々あったが、なるほどこういう人なのか、という納得感があった。その第一印象をメモして置こう。 浄土真宗は大きな魅力をもっているが、それが依拠する大乗仏典は釈迦入滅後600年以上たって成立したもので、客観的に釈迦の説いたものではない(大乗非仏説論)と実証されている。これは…
著者は日本女子大教授などをされていた宗教学者、作家の島田先生。平易な文体で仏教、お経の概説がされておりものすごくわかりやすい本だった。仏教にはさまざまな異なるお経があるがその位置づけが明快に整理されていて良かった。般若心経は部派仏教→大乗仏教→密教の流れを端的に示すお経だという説明もとてもわかりやすくイメージを喚起する。 大乗仏典は直接の釈迦の教えではないわけだが、昔の人はそうは思っておらず大乗非仏説というのが唱えられたのは江戸中期とのこととのこと、というのは非常に重要だと思う。本を読むときには、どういう立場の誰が書いたのか、ということが非常に重要なわけだが、江戸時代中期以前の人々はこの大前提…
仏教は、古くから、大乗仏教側からの『小乗仏教蔑視』と部派仏教からの『大乗非仏説』という構図で対立してきました。 近年は、文献学の発展により、どの仏典がより古層かということが明らかになってきており、原始仏典に基づく派の『大乗非仏説』が大きく勢力を伸ばしています。 いまのままでは、大乗非仏説の大波に仏教界は吞まれてしまう勢いです。 これに対し、大乗仏教側は、文献学を貶したり、中村元を個人攻撃したりするばかりです。 大乗仏教側からの反論という形で、『大乗非仏説をすべて論破した』というようなYouTubeもありましたので、アップします。 これのどこがおかしいでしょうか。 www.youtube.com…
一条真也です。『死者と霊性』末木文美士編(岩波新書)を読みました。「近代を問い直す」というサブタイトルがついています。わたしが日頃から愛読している気鋭の学者や評論家たちの座談会を収録した本で、非常に興味深く読みました。多くの学びと気づきを得ました。 本書の帯 本書の帯には、「若松英輔 中島隆博 末木文美士 安藤礼二 中島岳志」「5名による座談会を収録」「これからの哲学と宗教の再興に向けて、語り合う」と書かれています。 本書の帯の裏 帯の裏には、以下のように書かれています。「自分の死という問題から、死者とどうかかわるかという問題へと、スライドしていくことができた。そうすると世界が非常に広がってく…