夏。中国最古の王朝。 考古学上の証拠が発見されず伝説上の存在に過ぎないと思われていたが、近年発掘調査が進み、紀元前2070年頃〜紀元前1600年頃に実在していたと考えられるようになった。
史記によれば、伝説上の帝王・舜の死後、黄河の治水に功績にあった禹が天子となり、以後天子の位が世襲されるようになったとされる。
夏王朝→商王朝
< 修験者、忍者が「九字を切る」っていうのをマンガでもドラマでも 見たことあります? > 九字を切るっていうのとはチョト違う話から。 昔は誰もが強制的に参加しなければいけなかった会社の呑み会。呑める口を持っているとはいえ、ちっとも尊敬できない同僚たち、上役と同じ酒の席にいることの苦痛。 復活の兆しっていうのも言われ出しました。これはいつの時代でも変わらない「修行」なんでしょうかねえ。 ヤダなあって思っている人は、少なからずいるんですけど、参加必須だし、途中棄権なんて出来ませんもんね。 ところがね、そういう環境からスルっと抜け出ていっちゃう人っていうのがね、ちゃんといるんであります。 すっと立ち…
この記事では『太平廣記』の最初の文章である「老子」を全訳します。 最初の訳注なので至らぬ点も多いと思いますが、どうか皆様ご指摘ください。
植戸万典(うえとかずのり)です。待ち兼ねた春と恨めしい花粉のジレンマを抱えた一人です。花粉の時期の終わりが待ち遠しいですが、そのくらいの時期になるとそろそろ梅雨の終わりが待ち遠しくなり、またさらにその頃になると秋の涼風が待ち遠しくなるのだろうな、と半ば諦めています。 世の中、待っているだけではなかなかままならないものです。 コラム「春の福を待ち兼ねる」 春節の中華街では龍が舞う。皇帝や駿馬の喩えにも使われて誰もが知るそうした「龍」とは、古代のワニだった。これは青木良輔著『ワニと龍』で有名になった説だ。もし本当なら、日本にも「龍」がいたことになる。 「わに」は日本神話にもしばしば現れる。稲羽の素…
中国史上最初の軍師と呼ばれる太公望(たいこうぼう)についてまとめます。
古代中国を舞台にした『キングダム』をより楽しむためには、古代中国の歴史の流れを抑えておきましょう!
文字霊日記・3449日目 何からの「自由」か・・・ 「自由=選択の自由」のみ 「自ずから存在」 「自ずから存在するモノ」は 「存在しない」・・・ 「存在=相互依存関係での存在」 「相互依存関係=全体の諸関の係での存在」 「全体=全存在=無限=∞=8の横倒し」 「∞=8の横倒し=メビウスの輪」・・・ ↓↑ 「リボンの紐を楕円形の輪にして ヒネっても リボンの表裏は 表と裏として認識」できる ↓↑ 「帯幅のリボンで楕円形の輪」を造って 中心部をヒネッて八字形にしても 真横から「観測」するならば 「表裏の両面」を認識できる・・・ ↓↑ だが 「帯状のリボンの 先頭の表面片端」を 捩じって 「帯状のリ…
城壁を持つ都市が登場し、文化の交流が一層盛んになっていった中国では、次第に都市を統べる国家が形成された。中国最初の王朝は「夏」であるとされており、伝説の皇帝である禹によって創始されたとされている。夏王朝の痕跡らしきものは近年見つかっているものの、高校の教科書では殷を最初の王朝としている。 →殷は紀元前16世紀ごろに湯王によって創始された。殷の人々は自国を「商」と名乗っていた。殷墟と呼ばれる遺跡(都があったところ)からは、漢字の元となった甲骨文字が刻まれた亀甲や宮殿の跡が発掘された。 →殷は都を中心にいくつもの「邑」という都市が集まって構成されていた。王は占いによって政治を行い(神権政治)、儀式…
今回は中国神話についてざっくりまとめます。日本神話といえば『古事記』『日本書紀』のように教科書的な神話がありますが、中国にはこれが正解という神話がありません。 さまざまな資料に断片的に登場するため、資料によってストーリーや登場人物が異なることもあります。 神の時代から始まりやがて人間の世となり、中国の皇帝や易姓革命など中華思想と繋がっていきます。
今日は早く起きたかったのだけれど(特に予定や理由があるわけではないのですが)昼過ぎに置きました。昨日は飲酒しなかったし、何か特別なストレスがかかることをしたわけでもなかったからなあ。体力の低下でしょうか、嘆かわしい。 雨が降りそうで降らない午後でしたが、夕方前に最近よく行っているドトールでDuolingoをやりました。Duolingo、どれくらいのボリュームがあるのか分からないのですが、今年の1月から始めてまだまだセクション1です。IVEの日本人メンバーであるレイはTOPIK(韓国政府による公的資格)の4級を取っているらしいので、個人的には資格という観点ではそれくらいのレベルまでは到達したいな…
・紀元前97年 漢の定遠侯,班超は、漢とRomaの同盟を画策し、部下の甘英を派遣した。しかしRomaに至る途中で通るはずだったArshak朝Parthiaは、Romaと対立していたため、甘英はRomaにたどり着けず、Sūrīyahと思われる地域で引き返した。 ※同盟は実現しなかったが、オアシスの道の西半の情報を漢にもたらすことができた(北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』)。 ※Arshak朝は、建国者Arshakの名から、漢においては「安息」と音写された(宮崎市定『アジア史概説』)。 ・紀元前90年頃 司馬遷は『史記』を完成させた。 ※遷は荒唐無稽な出来事を排除した。そのため「三皇五帝」の…
・紀元前1600年頃 〔参考〕『史記』「殷本紀」によれば、子履(天乙)は夏王朝を滅ぼして王になり(湯王)、王朝「殷」を立てたという。 ※殷という王朝名は、後世に付けられたものである。中原最古の王朝であったため、別の王朝と区別するために、王朝名を付ける必要もなかったと思われる(落合淳思『殷』)。 ※甲骨文字において、湯王,履は「大乙」や「唐」と呼ばれている。実名は「唐」であったと考えられる。唐が都を置いた場所は甲骨文字にも見られ、二里岡遺跡の場所にあったと思われる(落合淳思『殷』)。 ※湯王,唐は祭祀対象として見られるのみであり、具体的な事績は不明である。履が滅ぼしたという夏最後の王,履癸(桀)…
古代中国の伝説として、三皇五帝と1セットされることが多いですが、 三皇と五帝には明確な区別があり、三皇は姿形や行いから神であるのに対し、 五帝は伝説の域ではあるものの、人間としての描かれ方です。 このため、司馬遷が執筆した当時の『史記』では、 史実に忠実さを求めた結果、五帝からの記載となっています。 五帝 ~神から天子へ~ 五帝というものの、書物によって、誰を五帝に選ぶかは、 諸説ありますが、ここでは、知名度やエピソードから五人を選びました。 古代中国では、天に意志があり、国を治める君主のことを天子と言い、 後に皇帝という称号が定着するまでは、天子がよく使われていました。 〇黄帝(ホァンディ、…
文字霊日記・3435日目 太るも痩せるも・・・死ぬも生きるも 食い物次第・・・?・・・難民救済の「緒方貞子」氏 ナゼ 「禹豆満佐=うずまさ」 ナノのか・・・菜音(なの)か・・・? カンジ分解で下向(文析・細分)し、上向(文積・止揚) ↓↑ 独語・Aufheben(アウフヘーベン)=止揚・揚棄 合う譜(符) 併(経意) 弁(辯・卞) ↓↑ 止揚・揚棄=Aufheben ヘーゲル弁証法 低い次元で 矛盾対立 する二つの 「概念」や・・・概念の意味の止揚は判るが 「事物」を・・・事物はそれ自体が止揚物である ↓↑ 「事物・生物」のプロセスの変化 この事物は構造変化の 始~構造組織化~終~結果 ↓↑ …
説話とは神話や伝説、民話などを指しますが、その中に自分の思想を伝えるためという意思を持つものです。 古代中国には古くから多くの文書が残っており、その中には司馬遷の史記に始まる歴史書も含まれますが、その他にも様々な書があります。 史書として扱われているものの中にも説話が入り込んでいる例は多く、どこまでが歴史的事実かということを判断するのは難しいものとなっています。 著者の落合さんは歴史学というものが人文科学として扱われ、社会科学ではないのはこの説話と史実との境があいまいだからだとしています。 しかし多くの歴史学者はそれをあえて明らかにしようとせず、説話にも歴史的事実が反映しているといった態度を取…
NHK大河ドラマ「光る君へ」の第4回は「五節(ごせち)の舞姫」でした。 確か過去に行った京都御所の特別公開で「五節の舞」の展示があったなぁと思い出して、ちょっと掘りおこしてみました。 ↓この写真は2014年の秋の一般公開の時のものです。記事はこちら。 kazenokomichi.hatenablog.jpそのときに書いた記事によると(もう書いたことも忘れてたけど、^-^;) 「五節舞(ごせちの舞)」。 起源は天武天皇が吉野宮で琴を弾いたときに、天女が舞い降り、 袖を五回ひるがえしたという故事からきているそうです。 毎年、新嘗祭のときに踊られていたそうですが、 今は大嘗祭(だいじょうさい、即位後…
弥生時代に中国では 海のない、山で囲まれた信州で、なぜお船祭?安曇族って? どこから来たの?その疑問を紐解くためには、弥生時代の中国との関連を調べる必要があります。今回は、日本の弥生時代における中国の歴史背景をみてみます。 ▶ 日本では ① 縄文時代 約1万3000年前から約1万年以上もの長い間、縄文土器を使っていた時代を 縄文時代 といいます。 ② 弥生時代 水田稲作農耕が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代を 弥生時代 といいます。具体的には、紀元前300年頃から紀元後250年頃の時代です。(ただし、紀元前10世紀頃には、既に稲作が行われていたとして、弥生時代の開始年代が遡る説があり…