夏侯氏(かこうし、184年〜没年不詳)張飛の妻で夏侯淵の姪で張皇后・敬哀皇后の母。
一説に劉備が曹操に攻められ袁紹のもとに身を寄せていたときに、山賊をやっていた張飛が薪狩りをしていた女をかっさらったところ、その女が夏侯淵の姪だと判明し、正式な妻として娶った。建安五年(200)、彼女が14歳のときであった。
さて、今回紹介するのは周峻じゃな。先日紹介した周護の父であり、周瑜の兄の息子と言う関係じゃな。
曹操を当初から支えた四人の親族・姻族がいる。夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪である。※ここでは前回見た曹純はいったん除いておく。 曹操の父の曹嵩は宦官の曹騰の養子となったが、曹仁、曹洪はそれぞれ曹騰の兄弟の孫であり、曹操とは「はとこ」の関係にある。祖父が宦官のため、曹操には「いとこ」はいない。自分の兄弟を除けば、もっとも近い同世代の親族が曹仁と曹洪である。 曹操の父、曹嵩の生家は不明である。「曹瞞傳」「世語」では夏侯氏の子で、曹操と夏侯惇は「いとこ」だと言う。その真偽の議論にはここでは踏み込まない。確かなのは、曹氏と夏侯氏はどちらも譙県を住まいとし、代々通婚関係にあった。そして曹操の娘の清河長公主も…
【夏侯惇元譲】 元々、『曹家』と『夏侯氏』は親戚関係にある。それもあって、夏侯惇と曹操は幼き頃から寝食を共にしてきたという間柄。14歳の時、武術の師を撲殺してしまい家を出、放浪生活へと移行。
さて、今回は魏の曹叡最後の時の混乱と、そこから個人的な考察を行ってみようと思うんじゃよ。