絵本作家。1915年生まれ。 1938年多摩美図案科を卒業後1948年まで東宝宣伝部に勤務。同年ごろ飯沢匡氏のすすめで氏の童話のさし絵を描いたのをきっかけに飯沢氏とのコンビで『ヤン坊ニン坊トン坊』『ぼろきれ王子』(理論社)の挿絵を描き、NHKテレビの「ブーフーウー」「ダットくん」「とんでけブッチー」等の人形デザイン、外国向け絵本パペット・ピクチュア・ブックの製作なども行っていた。
美術展、計30個行きました〜 (マリクワ、西美ピカソ、ヴァロットン、ローランサンとモード、佐伯祐三、民藝館沙弥郎、シーレ、木村セツ、リサラーソン、西美ブルターニュ、芸術家たちの南仏、古径と御舟、オサレ衣装展、マティス、フィンランド・グラスアート、ソールライター、山下清、ブルーナ絵本展、柚木沙弥郎と仲間たち、ユトリロ、ホックニー、土方久功と柚木沙弥郎、アーツクラフツ、よつばと!原画展、日本画聖地巡礼、MOMAT棟方志功、サンローラン、モネ連作、西美キュビズム、ゴッホと静物画) 圧倒的に良かったのは川村記念で観た芸術家たちの南仏展。遠かったけど、行くだけの価値のある展示だった。 マリクワやリサラー…
最近、飯沢匡(ただす)の文章を読んでいて、「ヤンボウ・ニンボウ・トンボウ」の作詞 (作曲は服部正) と「ブー・フー・ウー」の作詞 (作曲は小森昭宏) はともに飯沢匡ということにいまさらながら気がついた (“Rule of Three” といってしまえばそれまでだけれど)。 ※ 飯沢匡の『武器としての笑い』 (1977) によると、この頃は児童劇というものは児童がやるという考え方が圧倒的に強く、「ヤン坊」「ニン坊」「トン坊」 の声を担当した里見京子、横山道代、黒柳徹子の名前は一年間公表されなかったとある。また同書には不良少女的カラスの「トマトさん」——赤い色が好きなので——を登場させたことがこの…