Corps sans Organes ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス」のキーターム。もともとはアントナン・アルトーからの流用。
身体は身体だ。それはただそれ自身であり、器官はいらない。身体は決して器官ではない。器官は身体の敵だ (アントナン・アルトー「神の裁きと訣別するために」)
関連:スラヴォイ・ジジェク「身体なき器官」
哀しい、ツイッターのアカウントが永久凍結されてしまった!昨日のつぶやきがまずかったか。先日10月13日、ミヤネ屋を見た後、例の団体に関する漫画冊子らしきものを、ネット上に見つけた。それをつぶやいた。そしたらこのざま・・・何らかの圧力か?フォロワー400人しかいない弱小アカウントなのに!でもハッシュタグをつけてたのがまずかったか。特定の一個人を攻撃したわけではないし、誰かの人格や人権を侵害したわけでもない。表現の自由の範囲内でしょ…頼むよ、イーロン・マスクさんよ。 異議申し立てをしたが、期待はできない。この記事もヤバいか、別にこの記事は太田光の人格を否定したり中傷しているのではなく、太田氏の発言…
昨日は金曜日だったから、電車に乗った時、みんなの表情筋が少し緩んでいるような気がしたね。やっぱり金曜日は美しい。仕事のプレッシャーから、一時的かもしれないが開放される歓喜に町が満ち溢れている。柳楽優弥が金麦のビールを飲んでいるのも、金曜日じゃないのか。金麦も、"金"っていう言葉入っているように、金曜日のシニフィアンから生まれるポジティブなシニフィエの力を利用しているのかもな。犯罪発生件数も、金曜日は少ないんじゃないの。ではなぜ金曜日は素晴らしいか。そこで参考になるのは、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの著作「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」だ。この二人の著作は、資本主義の正体に緻密…
水銀の体温計 詩人のアーサー・ビナードがある本(タイトルを忘れた)の書評で「風邪をひくのは、病気を治すためという切口が新鮮だった」と書いていた。ちょうどコロナ2019の第二波の頃かな。 実際、人体が血糖値を上げたり発熱するのはその必要があるからなのだが、上記の水銀体温計がピークを42℃にしてあるように、体温が42℃を超えるとタンパク質が壊れて死に至る。 バイタル測定は他にも色々な種類があるけどね。 バイオリンの指板のポジション 普通のフレットレスのバイオリンと、フレット付きのバイオリン ▶ アナログとデジタルの違いは上記のようなもので、フレットをどれだけ細分化しても、人間の指で弾けるフレットレ…
東京都現代美術館で開催中の「MOT ANNUAL 2023 シナジーと生成のあいだ」展で花形慎はマウントディスプレイを使って視覚の位置を変えた人間に生成することを試みていた。 花形槙 1995年生まれ。加速する資本主義社会においてテクノロジーによる新たな身体を模索し、自己と他者、人間と非人間の境界を往来しつつ、「私」ではなくなっていく、「人間」ではなくなっていく肉体についての実践やパフォーマンスを展開する。本展では身体にカメラとヘッドマウントディスプレイを装着して視覚の位置を転移させ、人の動きの再構築を試みる展示を行う。 https://www.mot-art-museum.jp/exhibi…
みんなの2023年のマンガベストです。ドタバタしていて遅くなっちゃって諸々遅れてすいませんでした。みなさんありがとうございます。敬称略の順不同。 その2 exust.hatenablog.com その3 exust.hatenablog.com その4 exust.hatenablog.com 佐藤タキタロウ 投擲装置(鶴田裕貴) 永井乳歯 西瓜士 関野葵 吉田貴司 水田マル 人間が大好き 葉や川いおり 竹田純 ななめの(織戸久貴) 福岡ゆい 佐藤タキタロウ twitter.com 1.フラッシュ・ポイント 今井新 booth.pm 中盤の超展開凄すぎる 2023ベストにしない理由無い 2.ア…
身体なき器官 作者:スラヴォイ・ジジェク 河出書房新社 Amazon 『身体なき器官 』スラヴォイ・ジジェク著 長原 豊訳を読む。 いままでいろいろ読んできたジジェク本の中で、ぼくには、いちばんポップで、軽いように思える(ジジェク本比)。標題はご存知、思想界の藤子不二雄、ドゥルーズ=ガタリの『器官なき身体』をひっくり返したもの(最初はアルトーだよといいたい人に、ツッコミ防止で付記しておく)。 いきなり、こんなことを。 「哲学史におけるあらゆる偉大な『対話』は、多くの場合、誤解である。アリストテレスはプラトンを誤解し、トマス・アクィナスはアリストテレスを誤解し、ヘーゲルはカントとシェリングを誤解…
大阪の上町台地と東京の江戸前島は地形として似ている。豊臣秀吉はその類似に着目し、江戸を東の商都とさせるべく、関東奥羽支配の拠点とするべく徳川家康に国替させたのだろう。 漢典 詩歌への批評眼はすばらしいが社会へ目を向けると表層しか捉えられておらず紋切り型の稚拙さが目立つ。 こうして日本社会はことばの「皮膜」に覆いつくされ、息が自由にできなくなってゆく。隠喩の深みから換喩へ、垂鉛から皮膜へ、とめどなく詩も俳句も横滑りする時代がとっくに始まっていたのである。(恩田侑布子『星を見る人』春秋社) 「有季定型は油断すれば予定調和になる。季語に足をとられるな。無季でなければ言えない世界がある。遠くを目指せよ…
医療社会学は、医療人類学における痛みや健康の文化社会的構築性についての議論に長らく大きな影響を受けていた状況であったが、昨今はポストモダン的な言説分析を医療言説の分析に導入することで医療現象の社会的文化的構築性を独自に論じようとしている。その筆頭はポストモダン保健社会学(postmodern social theory of health, PSTH)を構想するフォックス(1993)である。 彼は近代的な医療社会学に対し「医療言説の政治学」(politics of health talk)を対置する。彼にとって健康や病気とは、「器官なき身体」(body without organs, BwO)…
資本主義とエディプス ・大地機械、専制君主機械に続く資本主義機械では、社会の中で決まった役割を担っている人物や機関を、父や母(のようなもの)だと認識させる力が働く。例えば、職場や住んでいる都市や国家を家族的に捉えることになる。家族的なイメージが覆いかぶさることで、社会全体のシステムを批判的に見る視点が持ちにくくなる。(304) ・フロイトは特定の対象や目標に縛られないリビドーの存在を想定することで、「欲望」を脱領土化、脱コード化したが、それが働く領域を「家族」に限定し、再コード化してしまった。社会動かす「超越的対象」に対する「良心の呵責」、存在の負い目であれば解消しようがないが、エディプス三角…
機械としての身体 ・オイディプス・コンプレックスに限らず、人間の欲望はほぼ既定の発達経路を巡るのであり、ごく少数の人だけがその経路から見て無駄なところに欲望を向けている、という見方、常識に揺さぶりをかけるのが、この本の基本姿勢となる。(34) ・「死への欲動」のようなまとまった欲動があるわけではなく、元々バラバラの運動をしていたであろう諸「機械」が、私たちの各機関に割り振られ、部分対象=部品として決まった役割を担い続けることに無理があり、もう一度バラバラになろうとする傾向が、身体を構成する機械たちにある。(48) ・「器官なき身体」とは、身体の各所(器官)に登録された欲望機械の運動がまずあって…
タブ朗 放送大学「記号論理学」 ブサヨやネトウヨなど、相手を反論しやすい類型へ落とし込んで個々の意見から目を背ける人は、個々の意見を汲み取り反論する対話ができず、類型化された語彙と思考パターンのなかで会話している。 ブレグジットにしても、トランプ主義の台頭にしても、中には半分ジョークを交えながら、「この世には本当にバカがいるもんだ」と怒る人もいます。しかし、私たちはその先にあるものを考えないといけません。そこで起こっている重要なことに気がつかないといけないのです。(カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ) それがセンセーショナルだから、とか、目立つから、とか、怒りに満ちているからという理…
ポストモダンと身体論の流行 『現代思想』2023年4月号の「特集=カルト化する教育新教科「公共」・子どもの貧困・学校外教育』 現代思想2023年4月号 特集=カルト化する教育——新教科「公共」・子どもの貧困・学校外教育 作者:大内裕和,三宅芳夫,阿比留久美,土屋陽介,中村高康,矢野利裕 青土社 Amazon 冒頭の、大内裕和と三宅芳夫の対談、「新自由主義再編下の宗教とイデオロギー」で、大内は、80年代以降の日本における、新自由主義とポストモダンの流行の関係について指摘している。 ポストモダンがヨーロッパやアメリカの近代を批判することを通じて、それらに依拠してきた戦後民主主義を相対化すると同時に…
逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)作者:浅田 彰筑摩書房Amazon単行本は1984年。目次 Ⅰ 逃走する文明(『ブルータス』1983年1月号) ゲイ・サイエンス(『現代思想』1982年11月号) 差異化のパラノイア(『広告批評』1983年3月号) スキゾ・カルチャーの到来(『月刊ペン』1983年4月号) 家族の病/家族という病 エディプス的家族 パラノイア/スキゾフレニー スキゾ・カルチャーの到来 テクノ・ナルシシズムの罠 <対話>ドゥルーズ=ガタリを読む(今村仁司・浅田彰『現代思想』1982年12月号) 資本主義のダイナミズムをつかむ 生成の哲学――弁証法との対決 「諸機械」につ…
読了。『千のプラトー』で「器官なき身体」の議論のなかで道教の性実践が参照されているが、それ関連の本。「宇宙卵」とか出てくる。図版が多くておもしろいけど、読み物としては少し物足りないかな。 タントラ -インドのエクスタシー礼賛- イメージの博物誌 8 作者:フィリップ・ローソン 平凡社 Amazon こちらも読了。書きたいテーマがあるが、それがハマるか確認してる感じ。 三つのエコロジー (平凡社ライブラリー) 作者:フェリックス ガタリ 平凡社 Amazon
中島みゆき「おまえの家」 ▶ 窓の外で降っている雨でこの曲を思い出したので選曲。 これジャケットに人間が二人写ってるんだね。「ひとり上手」や「寂しい女の恨み節」の先入観で、今の今まで気付かなかった。 フォークソングは、ボブ・ディランからしてそうだけど、歌っているというより「詩を朗じる」という、洞窟の語り部のような空気がある。 Sugar「ウェディング・ベル」 ▶ 中学校の修学旅行で京都と奈良に行った時の行きの新幹線の隣の車両に彼女たちがいて「おい、シュガーがいるぞシュガーが」と誰かが見つけてきて騒ぎになり、担任と体育の先生に鎮圧されたことがある。 それからしばらくして、歌詞のサビで「二葉亭四迷…
2023.04.26 二項対立をどうやって脱するか、ということについて最近考え、調べるとデリダの脱構築に行き着いた。僕は以前、デリダの「言葉にのって」を読み、学校を追放されたと知った。僕自身も学校出席停止処分を下されている過去がある。学校から排除されたことによって、アイデンティティ・トラブルを引き起こした。僕もデリダも境遇は同じなのに、なんでデリダは、アカデミックな場所にいるのだと思い、毛嫌いしていたのだが、二項対立の脱構築を考える上、読まなければとなった。そして、「デリダ 脱構築と正義」を読み進めると、学監の部屋に呼ばれて家に帰される、高等中学校に登録したが、不登校を起こしていたこと、さらに…
20230507@静岡芸術劇場 『Dancing Grandmothers~グランマを踊る~』(振付・演出:アン・ウンミ) 舞台の奥の壁に韓国の道を行く車の窓からの眺めが投影されている。特筆すべきものがあるようには見えない。道路沿いにある、ありふれた山や森。構図もアングルも、なにかとくに芸術的という感じはしない。面白くも何ともない車窓からの風景。いつまで続くのかと訝しく思い出したころ、舞台下手から、映像にかぶさるようにして、チョコチョコヒョコヒョコした足取りで、チマチョゴリをアレンジしたような衣装をまとった坊主頭の女性が登場する。 彼女は踊るというよりも舞っているように見えた。重心がないかのよ…