最凶最悪の月刊ゴシップ誌。
裁判沙汰になること数知れず・・・
という評価もある一方。他のマスコミでは触れられないテーマなども扱い支持も得ていた。2004年4月「余力を残しつつ引き際をキレイに」と休刊。
1979年 元「マスコミ評論」編集長であった岡留安則が創刊。
1980年 所謂「皇室ポルノ事件」発生。
右翼団体の印刷所、広告主への抗議を受け以後雑誌としては珍しく奥付から印刷所の明記が消えた(休刊に際して「凸版印刷所であったと明言)
岡留編集長の「臣 岡留」とのお詫びによって事態は収束。
1993年 筒井康隆「断筆宣言」発表(1996年12月 解除、1998年 連載再開)
1994年 雑誌「宝島30」との論戦開始(1996年 「宝島30」休刊)
1995年 東京地検特捜部が名誉毀損で告訴
1998年 いわゆる「朝日新聞リクルート汚染問題」で連載執筆者であった本多勝一を批判、本多勝一は連載を停止、以降論争が続く。
1999年 東京高検 則定衛検事長の愛人スクープ、この件は各マスコミが後追いを行い(朝日新聞は一面トップに)則定検事長は辞任に。
2000年 前代未聞の現役総理大臣 森喜朗の売買春検挙歴を報道。