紀元前17世紀末ごろから紀元前11世紀半ばにかけて存在した中国の王朝。 周王朝からは「殷」と呼ばれた。その為、20世紀に発掘された商王朝の遺跡は「殷墟」と呼ばれている。 祭政一致体制だったとされる。 周の武王により滅亡した。
商の民が商いを行なったことが「商人」の語源になっている。
夏王朝→商王朝(殷)→周王朝(西周)
宋襄の仁、という言葉がある。 無用の情けとか、君子気取りで身を滅ぼすとか、そんな感じの意味で、けしてよい言葉ではないと思うが、日本人というのは、意外とこの言葉がしっくり来るような気が、個人的にはしている。 悪い意味で使えば、格式やルール・マナーにこだわりすぎて新しいものを受け付けないとか、グローバル化が苦手、改革を嫌うタイプと言える。 一方で、そんなこだわりが、有数の文化を保ち、気が遠くなるほどの「老舗」を守り続け、諸外国から称賛を受けたりしている、とも思う。 鎌倉武士の時代にも、名乗りをあげて一騎討ち、という様式があり、いざ元寇緒戦では、元の集団戦法に、前に名乗り出た武将が討ち取られまくった…
文字霊日記・3439日目 夕方が重なった「多」って、ナに? 「太-乙-貴人」 「太乙神数=諸葛孔明が大成した占術 国家の将来を予見する「測局占」 「太乙神数・六壬神課・奇門遁甲」=「三式」 天乙(テンイツ)の実体・実態 紀元前1600年頃 「殷=商」王朝の初代王 名 履(リ)・・・・・・・・履歴 姓諱 子履(シリ) 殷墟出土の甲骨文占卜には 「大乙」・・・「太乙」 名は唐、成 「湯王(湯)=太乙=成湯=成唐」 『詩経』商頌で・・・商(あきない)の頌(うた)? 周の時 滅亡した殷 (イン=商)の子孫が 先祖をまつって歌った詩 「頌」=神をたたえて歌う歌 周頌・魯頌・商頌 は周、魯、商(殷)の祭歌…
封神演義 Hoshin Engi 1. 作者について「封神演義」は藤崎竜によって創作されました。彼は、独自の世界観とキャラクターデザインで読者を惹きつける作品を多く手掛けています。藤崎の作品は、中国の古典文学をベースにしながらも、オリジナルのストーリー展開と魅力的なキャラクター群で、新たなファンタジーの世界を創造しています。彼の描くダイナミックなアクションシーンと心理描写は、読者に深い印象を与えることで知られています。 2. 漫画の概要「封神演義」は、中国の伝説的な物語を基にしつつ、独自の解釈を加えたファンタジー作品です。物語は、神々と人間が織りなす複雑なドラマと壮大な戦いを中心に展開します。…
1991年2月21日第1刷発行 侠骨記 曹劌(そうかい)は春秋時代の初期の人である。魯は文化国家としては第一級だが、軍事は二流だった。斉との確執を抱え、斉が最大の敵となった。曹劌は、臧孫達を訪ね、積年画きためた戦役図譜を差し出した。魯の邑の長勺(ちょうしゃく)を斉軍が通ると断言した曹劌を臧孫達は翌日参内させた。君は曹劌を右として使うと命じた。長勺で見事な勝利を収めた。 魯の将軍となった曹劌は次の戦でも勝利を収めた。曹劌は大夫となった。やがて斉から盟約の誘いが来た。曹劌は斉との盟約の場に剣を持って臨み、斉の桓公の喉元にぴたりとつけて、領地の返還を約束させた。侠骨の試練の場であった。 布衣の人 主…
2017年7月10日新装版第1刷 帯封「文字を創った王 わしのことばは、万世の後にも滅びぬであろう。傑作中国古代小説集」「古代中国へ誘う傑作短篇集!」 裏表紙「商王朝の王子・丁は、言葉の不自由のため、父王から追放された。しかし彼は苦難の旅の末に、目に見える言葉―文字を創造した。己のハンディを跳ね返し普遍的価値を生み出した高宗武丁を描いた表題作をはじめ、古代中国に材を取った「地中の火」「妖異記」「豊穣の門」「鳳凰の冠」を収録。みずみずしい傑作集。解説・湯川豊」 沈黙の王 商(殷)王朝、二十一代目の王・小乙は、嗣子とした丁(子昭)に言語障害があったため、子昭の病が治れば帰還を聴す言った先王の言葉も…
2015年5月10日第1刷発行 裏表紙「二十代の頃には、歴史小説を顧みることがなかった著者は、なぜそこへ目を向けるようになったのか。司馬遼太郎、藤沢周平、小林秀雄、古代中国、趣味とするカメラ、そして自著についての思い。大作『三国志』を完成させた歴史小説家の創作の裏に隠された、あらゆることに対する鋭い視点と、深い思考が見えるエッセイ集。解説・校條剛」 ・橘逸勢(はやなり)は、嵯峨天皇、弘法大師とともに三筆に挙げられる書の名手だが、彼の手によって書かれた文は何ひとつ残っていないのは不思議である。『嵯峨天皇・橘逸勢』に収められている「伊都内親王願文」はみやびがあっても風流の浅瀬にのりあげていない。こ…
偃師商城遺跡で多重格子型の都市構造を確認 中国河南省 偃師商城遺跡の配置図。(資料写真、鄭州=新華社配信) 【新華社鄭州12月24日】中国河南省洛陽市で20、21両日開かれた2023年度の河南考古工作成果交流会で、同市偃師(えんし)区にある商(殷)代の都城遺跡、偃師商城遺跡の新たな考古学研究成果が発表された。小城エリアで多重格子型都市構造が確認された。 偃師商城遺跡の現存面積は約205万平方メートル。3500年余り前の商代初期の都邑(首都)としての特徴を持つ重要な城郭都市遺跡で、専門家は夏王朝と商王朝の年代境界を研究する上での重要遺跡の一つとしている。 中国社会科学院考古研究所の陳国梁(ちん・…
2018年3月10日新装版第1刷 帯封「王が国を危うくする時、臣下は⁉ 商の名臣・箕子の生涯を通し、現代に通じる問題を描き切ったデビュー作!」 裏表紙「六百年に及ぶ栄華を誇る古代中国商(殷)王朝の王子に生まれた箕子は、甥・紂王の宰相として、傾きゆく王家のため死力を尽す。炮烙の刑、酒池肉林といった悪名高い故事、紂王を惑わす妖姫・妲己、敵対勢力・周の文王、太公望など多彩な登場人物を通し、権力の興亡と人間の運命を描き切った作家のデビュー作品。解説・平尾隆弘」 「商」と呼ばれる王朝は、後に「殷」とも呼ばれる。この時代に中国は初めて文字を持った。28代目の王・文丁に箕子という子がいる。文丁が崩御すると、…
1993年9月10日第1刷 2013年7月5日第28刷 裏表紙「夏王桀に妹嬉をささげることで有莘氏の危機を救った伊尹は、桀のライバルとして台頭してきた商の湯王から三顧の礼を受け、湯王の臣となる。伊尹の狙いは夏と商の和親だったが、時代の流れはこれを許さず、ついに夏と商は激突し夏王朝は滅亡する。湯王は商王朝を開くが、伊尹の仕事はまだ終りではなかった。解説・齋藤愼爾」 摯が有莘に戻ったとの知らせを聞いた湯は、三顧の礼をとって摯を迎えた。摯は、湯の器量が桀より大きく、湯も摯に民を慈しむ心があることを知った。商が疲弊し切っていることを夏が知っていれば和睦は難しかったが、夏は知らなかった。摯は朝貢の使者と…
1993年9月10日第1刷 2010年9月5日第24刷 裏表紙「商の湯王を輔け、夏王朝から商王朝への革命を成功にみちびいた稀代の名宰相伊尹の生涯と、古代中国の歴史の流れを生き生きと描いた長篇小説。桑の木のおかげで水死をまぬがれた〈奇蹟の孤児〉伊尹は、有莘氏の料理人となり、不思議な能力を発揮、夏王桀の挙兵で危殆に瀕した有莘氏を救うため乾坤一擲の奇策を講じる。全二巻。」 新田次郎文学賞受賞作。 臨月を迎えた女は不思議な夢を見た。神女から、伊水があふれる、臼や竈に蛙がのっていれば東へ走り、桑の樹の空洞に児をあずけなさいといわれる。夢が覚め、児を産んだ。この嬰児が伊尹である。夢の話は誰も信じなかった。…
平成10年5月20日第1刷発行 謀叛が発覚し、受王の粛清が始まった。鬼公の救出に向かった望だったが関所で止められた。その最中に継が戻ってきた。三公は沙丘で誅殺された。鬼公と九公は醢(かい)に、顎公は脯(ほ)と、極刑にされた。周公は捕えられ獄に入った。望は彪と再会した。彪は最愛の人を受王に殺された復讎を果たすため商に潜り一人で受王殺害を狙っていた。望は羌(きょう)族出身を明らかにし邑を造り邦を治めたら民族の優劣をなくし公平な政治をしたいとの自らの理想を大勢の前で宣言した。周父子はそろって捕縛され、臣下は将兵と戦って亡くなり、嫡子の行方も分からなくなった。周の重臣を救った望だったが、小子旦も周公の…
平成10年5月20日第1刷発行 太公望は、はじめ娶った馬氏の娘と離婚した後、斉に封ぜられると、先妻が再婚を求めに来たので、「覆水盆に返らず」と語ったという話があるが、これは作り話。盆は当時まだ存在しない。望は逢青との間に生まれた子を伋と命名した。逢尊は望から商王朝を倒すと聞かされ、鬼公でなく望が王になれと言った。かつて庶民から王位についたのが舜、商の高祖だった。望が東方に出かける際、逢尊は咺(けん)という青年をつけて武術を教えた。更に牙という童子が望に仕えた。妻の逢青は女児を生むと急逝し、望は泣いた。2人の子のために逢尊に望はだらしがないので自分を追放したことにしてほしいと頼んで出発した。かつ…
平成10年5月20日第1刷発行 望は5人の幼い子を連れて火の中を逃げた。望の胸には商王を殺すという復讐の炎が立っていた。商王「帝乙」が崩御した。死んだ王のために異民族が捕られ、殺され、殉教者とされた。帝乙の王子が受で、後に紂王と呼ばれた。人狩りのために、箕子、祖伊、神足の飛廉を配下に置いた。望は羌族に生まれた。羌族は大勢力を作ろうとしない。そうすれば商帝国となんら遜色のない勢力圏を築けたが、彼らは平等の思想を持ち、利益の分配において公平を期そうとするため、個人の力の優劣も身分の上下もなく、強烈な指導者を産まない。侵略の思想もなく戦闘能力は低かった。望はのちに「呂望」と呼ばれる。羌族が襲われ、望…
古代中国 夏・商・周時代(紀元前2070年 - 紀元前256年) 夏王朝の興隆: 『史記』によれば、紀元前2070年に夏王朝が成立し、中国最初の王朝とされる。 商と青銅器の発展: 商王朝では青銅器の技術がじっくり、贅沢な墓や祭祀用具が作られました。 周の分封認証: 周王朝が成立し、分封認証が獲得。 春秋戦国時代(紀元前770年 - 紀元前221年) 諸侯の闘争: 諸侯が争っていた時代で、孔子や老子といった思想家が活躍。 孟子・荀子の論争: 孟子と荀子が儒家と墨家の間で激しい論争を繰り広げた。 始皇帝の統一(紀元前221年 - 紀元前210年) 秦の始皇帝: 秦王朝の始皇帝が中国を統一。万里の長…
古代中国で商(殷)の国を周が倒して王朝を興したのを商周革命(殷周革命)と呼びますが、そのいきさつを描いた作品です。 この時期の歴史は司馬遷の史記にはあるものの、まだ公式の史書はない時期ですので挿話はあちこちに残っているものの確定的なものは不明でしょう。 またそれらの話も勝って王権を奪った周の側からの見方であり本当のところは分からないというのが実際のようです。 かなり後世の作である「封神演義」もこの時代を扱ったものですが、それは歴史とは大きく異なります。 ざっとあらすじを言えば、商の王朝の最後の王の受王(紂王)が暴政を尽くし、それに周の昌(文王)が反旗を翻しその子発(武王)が商を滅ぼすということ…
中国陝西省北部で3200年前の商代大型集落跡を発見 【新華社西安6月8日】中国陝西省考古研究院は5月30日、省北部の楡林市清澗(せいかん)県で約3200年前の商(殷)代の大型集落跡を発見したと発表した。集落跡は寨溝遺跡と名付けられた。 遺跡がある解家溝鎮寨溝村は同省北部の黄土高原の中心部に位置する。同研究院が2022年に発掘調査を開始し、これまでに大面積の版築(はんちく、土を幾層にも突き固める工法)建造物や大型墓葬、小型墓地、灰坑、陶範(陶製鋳型)など異なる機能を持つ遺構を発見した。遺跡面積は約300万平方メートルに上った。 同研究院の孫戦偉(そん・せんい)副研究員によると、遺構は11の丘陵に…