プロ野球選手・指導者。
通称「アジアの大砲」「東方藍波」。
右投右打、ポジションは外野手。背番号は97→2→39番。
1964年10月30日生まれ。台湾・高雄市出身。
華興中学から文化大学に進み、アジア大会・世界選手権(現IBAFワールドカップ)で活躍。
1988年、王貞治が監督を務める読売ジャイアンツに入団。
同年、一軍に昇格し本塁打を量産。11試合で9本塁打と旋風を巻き起こした。
1989年、打撃フォーム改造による不振のため、二軍生活を余儀なくされる。
同年、打率.333、25本塁打、57打点を記録しイースタンリーグの三冠王を獲得。
翌1990年には外国人選手枠の関係で、一軍定着には至らなかった。
1991年、退団。
帰国後の1992年、台湾プロ野球・兄弟エレファンツがドラフト1位で指名し、入団。
直後に林易増らとの交換トレードで味全ドラゴンズに移籍。*1
台湾球界を代表する強打者として活躍。
1996年、台湾大連盟・雷公に移籍。25試合連続安打の台湾プロ野球記録を樹立。
2000年、現役引退。
2001年、打撃コーチに就任。
2003年、年代電視台の野球解説者を務める。
同年、誠泰コブラズの打撃コーチに就任。
2006年、La Newベアーズの打撃コーチに就任。
同年、ワールド・ベースボール・クラシック台湾代表のコーチを務めた。
*1:味全ドラゴンズは文化大学と強い繋がりがある。