「どうすれば救われるのか?」それは、ちょうど阿弥陀仏の救いを鍵のかかった扉のように考えていたなと、最近ふと思いました。その扉が開けば、大安心、大満足。南無阿弥陀仏の大功徳をまるもらいして、死ねば極楽参り間違いないという絶対の幸福になれると。しかしその扉には鍵がかかっていて、どうしても開けられない。その鍵を探すような心境であったな、と。 もちろんこれは私の勝手な譬えなのですが、今思うと、そんな鍵付きの扉など最初からありませんでした。むしろ私が扉の鍵穴で、それを阿弥陀仏がずっと開けようとしておられたのですね。 私のために南無阿弥陀仏という鍵となって下さり、お念仏として届いて下されているのですね。私…