1918年〜1991年 将棋棋士。実力制第4代名人。
広島県双三郡三良坂町出身。
父栄一、母カツノの4男として生まれる。1932年(昭和7年)2月に、「日本一の将棋指し」を目指して家出。家出の時に愛する母の使う物差しの裏に墨でしたためた「この幸三、名人に香車を引いて…」の文言は、後に現実のものとなる。
飲食店やクリーニング店の丁稚奉公など紆余曲折を経て、大阪の木見金治郎八段の門下生となる。同門の先輩には大野源一、そして後輩には、終生のライバル大山康晴がいた。
「新手一生」という言葉を好み、数々の新手でファンを魅了した。その功績から、1995年度に新戦法などを称える「升田幸三賞」が創設された。