阪急京都線に所属する支線のひとつ。天神橋筋六丁目駅−北千里駅間 13.6km。
山田駅で大阪モノレール、淡路駅で阪急京都線と接続する。また、天神橋筋六丁目駅からは大阪市営地下鉄堺筋線が延びており、約半分の列車が、終点の天下茶屋駅まで乗り入れる。もう半分は阪急京都線に乗り入れ、梅田駅−北千里駅間を直通する。
天神橋筋六丁目駅−淡路駅間は新京阪鉄道が1925年10月15日に開業させた区間で、新京阪鉄道の本線(天神橋駅(現・天神橋筋六丁目)−京阪京都駅(現・大宮)間)の一部を構成した。天神橋筋六丁目駅は1969年12月6日、地下鉄への乗り入れ開始にあたって地下化されるまでは天神橋駅と呼ばれる高架ターミナル駅で、京都線のターミナルが梅田駅に移るまでは特急や急行もここに発着したほか、新京阪鉄道の本社もここに置かれていた。
淡路駅−千里山間は北大阪電気鉄道が1921年4月1日(豊津駅以南)・10月26日(豊津駅以北)に開通させた区間で、吹田付近にあるJR線との交差地点以南は東海道本線の廃線敷を転用したものである。この区間は吹田市内の丘陵地をぐねぐねと曲がりながら走るため、あまり速くない。淡路駅での京都線の電車との干渉を避けるための信号待ちも重なり、「千里線は遅い」という印象を強くしている。
千里山−北千里間は千里ニュータウンの開発が進むのに合わせて京阪神急行電鉄が1963年8月29日(南千里駅以南)・1967年3月1日(南千里駅以北)に開通させた区間で、カーブの少ない現代的な路線になっている。なお、「千里線」という路線名になったのは北千里駅が開業し、新千里山駅が南千里駅に改称された1967年3月1日からで、それまでは「千里山線」と呼ばれていた。
1970年の日本万国博覧会開催時には南千里駅−北千里駅間に臨時の駅「万国博西口駅」を設置し、同駅から会場まで連絡通路で結ばれていた。また梅田・動物園前方面からは「エキスポ準急」、神戸・宝塚方面からは「エキスポ直通」といった臨時列車がそれぞれ運転されていた。万国博閉会から約3年後の1973年11月23日、万国博西口駅跡の約400m天六寄りに山田駅が開設されている。
北千里駅は日本で最初に本格的な自動改札が実用化された駅でもある。ニュータウンの玄関口には目新しい自動改札機がふさわしいとして駅開設時に導入されたものだが、当初は装置のトラブルが多く、開発に当たった立石電機(現オムロン)担当者の苦労はNHKの人気番組「プロジェクトX」でも描かれた。