宗教家。創価学会第4代会長。 1923年生まれで東京都出身。戦国時代の後北条氏の末裔。海軍兵学校卒業後、創価学会の戸田城聖に師事。 池田大作第3代会長時代の大幹部を歴任する。1979年に第4代会長になるが、1981年7月に自宅で倒れたが、そのまま亡くなった。 なお、その妻は、創価学会の婦人部の最高幹部を務めている。
創価学会員は誰も知らないと思うが、明後日7月18日は創価学会の第4代会長・北條浩氏の命日だ。近しい人の誕生日と同じなので私は北条氏の命日をなんとなく覚えてしまったが創価組織内では北条会長について語られることはほぼない。北条氏が語られるとしたら「功労者」ではなく「裏切者」として語られる。「北条浩は52年路線の時に池田先生を会長の座から追い落とした裏切者・忘恩の徒」というのが一般的な学会員の北条評である。当然、そんな評価をされるのは池田が小説や随筆でそのようにでっち上げているからである。もとより池田が会長を辞任したのは池田自身の謗法の数々がその原因であることは明白な史実である。池田は自分の驕慢謗法…
北条浩、生誕100年 今日は、創価学会の北条浩第4代会長が存命なら100歳であった。北条浩会長の100歳を迎える日であった。 北条会長は、56歳で会長就任したが、宗門の謀略に苦しめられて、わずか2年で心労に苛まれて、急死した。だが、亡くなって42年経つ今、北条浩会長を知る者がいなくなった。今、池田門下の本門の時代。門下が、師の築いた城をさらに築く時である。
諸々の裁判や国会の証人喚問から「私を守れ!」と叫喚して逃げまくっていたらしい池田大作が法廷に立ったのは「大阪事件」と「月間ペン事件」の裁判だが世間の注目を引いたのはやはり「月間ペン事件」の方だろう。「月間ペン事件」では2度にわたり池田が証人出廷し明らかになった事実がいくつかある。今の若い学会員は知らないだろうから「月間ペン事件」関連で判明した事実を教えておこう。その前に「月間ペン事件」の経緯を簡単に書いておく。雑誌『月刊ペン』が1976年(昭和51年)3月号に掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」の4月号に掲載した「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が創価学会と池田大作会長(当時)及び女…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて前回は昭和34年5月8日付の聖教新聞の記事を紹介しました。 「選挙を宗教活動に位置付けた池田大作総務」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/11/21/000000 昭和34年(1959年)は、戸田城聖の死の翌年であり、池田大作が第3代会長に就任する前年ということになります。 池田大作氏は当時創価学会総務として、選挙戦を「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのでございます」と述べ、選挙が日蓮の本門戒壇(当時は国立…
創価学会の池田大作名誉会長が亡くなったことを受けて公明党の山口代表は、「公明党の創立者である池田氏が示した『大衆とともに』という立党の精神を変わらぬ原点として、これからも永遠に守り抜く」との談話を発表しました。 池田 大作(いけだ だいさく、1928年〈昭和3年〉1月2日 - 2023年〈令和5年〉11月15日[1])は、日本の宗教家、作家。宗教法人 創価学会の名誉会長、SGI(創価学会インタナショナル)会長。 山本 伸一、法悟空のペンネームで作家活動も行っていた。 来歴 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用に…
1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹…