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北条実時

(社会)
ほうじょうさねとき

北条実時(元仁元〔1224〕〜建治二〔1276〕年10月23日)
金沢実時(かねざわさねとき)とも。
北条実泰の嫡男。父実泰は北条政村の同母弟で、北条義時と伊賀の方(伊賀朝光女)の間に生まれた実泰は伊賀の方の乱後の不安定な立場に耐えられずに精神のバランスを崩し、実時はわずか11歳の天福2(1234)年に金沢流北条氏の家督を継承し、小侍所別当になる。4代執権北条経時と同い年であることから、経時の有力な側近として期待されていた。北条時頼の執権就任後は引付衆、評定衆、引付頭人に就任し、北条時宗が得宗の地位を継承し、連署に就任すると越訴奉行として時宗を補佐する。
建治元(1275)年に政務を引退した実時は所領の六浦荘金沢の地に蔵書を集めて金沢文庫を創設した。実時は明経道の清原教隆に師事して儒学を学ぶ一方、伯父で舅の北条政村に和歌などの王朝文化を学んでいた。
妻は7代執権で伯父の北条政村の女、子息には北条顕時(引付頭人)や北条実政(鎮西探題)がいる。
建治二(1276)年死去。

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