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北方戦争

(一般)
ほっぽうせんそう

Severnaya Voina(露)、Stora nordiska kriget(瑞)
大北方戦争とも。ピョートル大帝とカール12世のタイマン勝負。
年代:1700年〜1721年

概略

ロシアの近代化を図るピョートル1世*1は海への出口を求め、当時のバルト海に覇を唱えていたスウェーデン王国に喧嘩を売ろうと思い立った。といってもまだまだ近代化の途上にあるロシアが、「バルト帝国」の異名を持つスウェーデンと単独で戦うというのは無謀である。そこでピョートルは外交に力を入れ、スウェーデンの覇権に脅威を感じていたデンマークやポーランドといったバルト沿岸諸国と1699年に同盟を結ぶことに成功した。
1700年、デンマークが隣接するスウェーデン領ホルシュタインに侵攻、戦争が始まった。

当時のスウェーデン王は若きカール12世だったが、彼は実は大変な軍才の持ち主だった。そういうわけでカール12世は自ら軍を率いて大暴れ、デンマークを講和に追い込み、ナルヴァの戦いでロシアを破り、さらにポーランドに侵攻してポーランド王をすげ替えて戦争から脱落させた。
後顧の憂いを絶ったと判断したカールは1707年からロシア戦役を開始する。が、ピョートルも座して待っていたわけではなく、ロシア軍の再建に成功していた。持久戦の末、1709年のポルタヴァの戦いでついにロシアは勝利を収める。カールはここで本国に帰還せずにトルコに渡って対露戦争を継続する。が、スウェーデンの敗北を見て、デンマークとポーランドが再び参戦。
状況の悪化によりカールはスウェーデンに帰還するが、1718年にノルウェーで戦死してしまう。
1721年にニスタット条約が結ばれ、戦争は終結した。スウェーデンのバルト海の覇権は崩れ、ロシアが列強の仲間入りを果たした。

名称について

※なお、この戦争の日本語名(と英語名)は一定していない。一応、「Great Northern War」とその訳語である「大北方戦争」を用いるのが一番錯誤が少ないと思われる。が、実際には、「Northern War」をこの戦争の名称に用いているケースは大量に見受けられる。
他にNorthern War(北方戦争)と呼ばれる戦争としては、1655年〜1660年(Second Northern War)と1563年〜1570年(北方七年戦争*2、北欧七年戦争*3、スカンジナビア七年戦争*4)などがあり、さらにどちらも「First Northern War」と表記することがある*5が、だからといって日本語でこれらを「第一次北方戦争」とは呼ばないのが普通である。
なお半球がずれるが、ニュージーランドで1844年から1846年に行われた戦いも「Northern War」と呼ばれるようである。

*1:のちのピョートル大帝

*2:Northern Seven Years' War

*3:Nordic Seven Years' War

*4:the Seven Years War in Scandinavia

*5:16世紀の方を第一次とするときは17世紀のを第二次とする。17世紀の方を第一次とする場合は18世紀のを第二次とする

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