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勝利の方程式

(スポーツ)
しょうりのほうていしき

スポーツにおける勝つための秘策。
特にプロ野球において、一方のチームがリード時に、勝ちに行く継投策の呼称。
投手分業制が確立し、リリーフ投手が中継ぎ・抑えと分業化された1990年代中頃から使用され、2005年に阪神タイガースがセントラル・リーグを制した際に活躍したリリーフユニット「JFK」のおかげで、重要性を改めて認識させることとなった。

有名な勝利の方程式

専用の呼称がある例

ロケットボーイズ(東京ヤクルトスワローズ、2001〜2004)
五十嵐亮太、石井弘寿
当初は高津臣吾を出す前のセットアッパーを務めていた2人。のちに高津の渡米で五十嵐が、五十嵐の負傷離脱で石井がクローザーに就く。
JFK(阪神、2005〜2008)
ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之
YFK(千葉ロッテマリーンズ、2005〜2007)
薮田安彦、藤田宗一、小林雅英
2005年に日本シリーズを戦った、阪神のJFKの後追いという命名経緯もあり、本人たちは気に入ってなかったという。
クアトロK(横浜ベイスターズ、2005〜2007)
木塚敦志、加藤武治、川村丈夫、マーク・クルーン
正式に命名されたのは2006年。
HAMの方程式(北海道日本ハムファイターズ、2006〜2007)
武田久→マイケル中村
2006年には、岡島秀樹を加えて「TOMの方程式」と呼ばれることもあった。
風神・雷神(読売ジャイアンツ、2008〜2010)
山口鉄也、越智大祐
セットアッパー2人に対する呼称。当時巨人ではクルーンがクローザーを務めていたが、クルーン退団後も2人が年間を通してクローザーに就いたことはない。
SBM48(福岡ソフトバンクホークス、2009〜2010)
2009年に攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩で構成された「SBM」に、ソフトバンクで背番号48を着けていた甲藤啓介を加えたユニット。
スリーマウンテンズ(東北楽天ゴールデンイーグルス、2010)
小山伸一郎、青山浩二、片山博視
「〇山」という苗字のセットアッパー3人組。
スコット鉄太朗(巨人、2012〜2014)
スコット・マシソン、山口、西村健太朗

専用の呼称がない例

日本ハム
武田久と宮西尚生を軸に、増井浩俊や外国人セットアッパーが並ぶ布陣が基本。2014年からは、不調が続いた武田に代わって増井がクローザーに就く。
楽天
初期には、小山、青山、渡邊恒樹などから福盛和夫への継投がパターン化されていた。2015年から松井裕樹がクローザーに定着するが、その前に出てくる顔ぶれは流動的。
西武
1990年代の潮崎哲也と鹿取義隆のコンビや、2000年代前半の、森慎二→豊田清のリレーが有名。
ヤクルト
ロケットボーイズ解散後、林昌勇、トニー・バーネットなどを軸にしたリレーを編成。2015年には、オーランド・ロマン、ローガン・オンドルセク、バーネットの外国人リリーバートリオを擁してリーグ優勝した。
巨人
「勝利の方程式」という呼び名自体、1993年の橋本清→石毛博史のリレーを、当時の監督だった長嶋茂雄がこう呼んだのが由来と言われている。また、巨人のクローザーは毎年のように入れ替わる激務であり、スコット鉄太朗はかなり珍しい例とも言われる。
ロッテ
横浜DeNA
1990年代後半に、島田直也、盛田幸妃、佐々木主浩のトリオが確立されて快進撃が始まる。
中日
岩瀬仁紀→外国人クローザーの方程式が1999年から定着。2004年に岩瀬がクローザーに就き、2010年前後には浅尾拓也→岩瀬という必勝リレーを形成。
阪神
2003年に入団したウィリアムスは、JFKが生まれる前から吉野誠、安藤優也らと方程式を形成。
JFK解散後は、主に安藤と福原忍がリリーフ陣の核を務めていた。
オリックス
JFKを編成した岡田彰布が2010年に監督に就いたことで継投策の重視度が高まり、平野佳寿と岸田護でリレーを形成。平野はその後クローザーに定着する。
広島
ソフトバンク
ホークスが福岡へ移転後初となる日本一に輝いた1999年には、篠原貴行→ロドニー・ペドラザのリレーを確立。
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