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加越能鉄道

(地理)
かえつのうてつどう

加越能鉄道株式会社は、かつて、富山県西部を中心に鉄道・バスを運営していた会社。
1950年10月23日設立。
2002(平成14)年に最後の鉄道路線だった万葉線を手離し、「鉄道会社」ではなくなり、バス事業のみを行っていた。2012年10月1日には商号を「加越能バス株式会社」へ変更した。

沿革

「加越能」は加賀・越中・能登のことである。1950(昭和25)年、加越能三国を結ぶ鉄道を作ろうという壮大な計画を遂行するために、富山地方鉄道(地鉄)の出資*1によって設立され、地鉄から加越線(石動〜青島町(後の庄川町、現在は砺波市)。旧加越鉄道)と富山県西部のバス事業が譲渡された。
1959(昭和34)年、地鉄高岡軌道線の全線(地鉄高岡〜新湊・米島口〜伏木港)が譲渡された。1963(昭和38)年には、高岡(地鉄高岡から改称。現在廃止)〜新高岡(現在の高岡駅前)を開業した。
1966(昭和41)年、富山新港の建設により地鉄射水線が分断される事になり、高岡側の越ノ潟〜新湊が加越能鉄道に譲渡されて新湊港線となった。分断された堀切〜越ノ潟は運賃無料の富山県営渡船で連絡するようになったが、乗換えの不便により新湊港線・地鉄射水線共に乗客が激減した。
1971(昭和46)年、伏木港支線(米島口〜伏木港)を廃止。翌年、加越線の全線が廃止された。
本来の目的である加越能連絡線は、手始めとして乗客数の見込める富山〜小杉町太閣山〜高岡の路線から着手された。市街地を除く区間は用地買収がほぼ完了していたが、モータリゼーションなど情勢の変化により計画は中止された。
残る高岡軌道線・新湊港線は「万葉線」という愛称で一体の路線として運行していたが、旅客数の伸び悩みなどにより全線廃止・バス代替の意向を示した。地域住民の反対運動により、2001年に高岡市・新湊市が中心となって第三セクター会社「万葉線株式会社」を設立して存続することになり、2002年2月、加越能鉄道は万葉線株式会社に万葉線の事業譲渡を行った。

*1:後に北陸鉄道・富山県・石川県・金沢市も出資した。

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