本記事で取り上げるのは内藤国貞の娘にして内藤宗勝(松永長頼)の妻、内藤貞勝・貞弘(如安)兄弟の母にあたる女性である。いきなり長々しい形容ばかりだが、この女性は名前がわからない。実名がわからないのはもちろんのこと、法名も不明で、史料上に特定に足る他称もないのである。そういうところで彼女のアイデンティティを考えてみると、やはり丹波守護代内藤国貞の娘であることがその生涯を常に拘束していた趣がある。よって記事タイトルや呼称は「国貞の娘」とした。 家族関係と松永長頼との婚姻時期をめぐって 父・兄の戦死と夫による生家乗っ取り 岐路を迎える丹波内藤氏 晩年と内藤貞弘(如安) 「国貞の娘」の生涯とは 図像 参…