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前衛短歌

(読書)
ぜんえいたんか

1951年から1967年までに起こった、近代短歌の脆弱さを払拭し、リアリズムとモダニズムを総合することで現代短歌へと革新させた文学運動。主な歌人は、岡井隆、塚本邦雄、寺山修司、葛原妙子、中城ふみ子、春日井建、浜田到、石川不二子。彼らは全て中井英夫によって発掘された。当時は短歌の主な活躍の場である結社の多くでは前衛短歌は認められない風潮の故に総合誌でしかデビューできなかったという背景がある。

1949年に中井英夫が日本短歌社に入社し、短歌の総合誌『短歌研究』『日本短歌』の編集長となる。
1951年8月、塚本邦雄『水葬物語』発表。中井英夫だけでなく、三島由紀夫にも絶賛される。
1951年8月『短歌研究』誌上に「モダニズム短歌特集」で塚本邦雄が掲載される。
1952年3月『短歌研究』誌上に「前衛短歌」の呼び名が初めて出る。
1953年、斎藤茂吉と釈迢空の死によって、「近代短歌の終焉」と呼ばれる。
1954年4月、第1回短歌研究新人賞に中城ふみ子「乳房喪失」が授賞(同年彼女は死亡)、石川不二子が次席に選出される。
1954年11月、第2回短歌研究新人賞に寺山修司「チェホフ祭」が授賞。
1958年8月、『短歌研究』誌巻頭に春日井建を掲載。
1958年、寺山修司『空には本』発表。
1962年、寺山修司『血と麦』発表。
1965年、寺山修司『田園に死す』発表。
1967年、岡井隆『眼底紀行』発表。この後、岡井隆は5年間九州に隠遁する。

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