内田良平(うちだりょうへい)。1874年〜1937年(明治7年〜昭和12年)右翼運動指導者。
明治7年福岡県に生まれる。頭山満の門下生であり、叔父である平岡浩太郎が社長となって創設された玄洋社に入り、明治27年韓国で「東学党の乱」が発生するや、玄洋社の青年行動隊である「天佑陝」を組織して、これに参加したのをはじめフィリピン独立運動、中国革命の支援運動をなどに活躍した。
明治34年1月には「黒龍会」を設立し、昭和6年には「大日本生産党」を結成し、自ら総裁となった。黒龍会は、玄洋社と並び今日の右翼運動の思想的源流といわれ、大日本生産党は、黒龍会が非合法活動を多く行ったのに対し、合法的政治活動を展開、本流右翼あるいは純正右翼団体として現在も存在し、内田良平の精神を継承している。