資本論はおいておくとして、こうした私の態度はすでにして、当時としては「保守」寄りの態度とみなされるそれであったということは、附言をしておきたく思う。インターテクスチュアリティはナショナリズムと親和性が高い、……というような議論のレベルでもない。信じられない話だが、ひとつの小説作品を読むに際して、それが書かれた背景なり、テクスト間の影響関係なりを吟味し、検討をすることとは、歴史の重層性を前提とした態度にほかならない。この歴史関係をそもそもないものと見なすことが、当時の左派の大勢の見方であった。わかりやすい一例なのだが、オリンピックで高橋尚子がマラソンで金メダルを獲ったことを、素直に、いつものフラ…