李氏朝鮮第26代国王で大韓帝国初代皇帝の高宗のこと。
→高宗
前6年〜57年(皇帝在位25年〜57年)。姓名は劉秀で字は文叔。
後漢王朝の初代皇帝。荊州南陽郡舂陵の人。前漢6代皇帝景帝の庶子・長沙定王劉発の子孫にあたるが、彼自身は傍系であるため生まれは無爵でしかも三男坊であった。 王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱した中国国内(当時の漢民族居住地域)を、紆余曲折を経て再統一し、漢王朝の再興と称して後漢王朝を建国した。
sarukichitail様、コメントありがとうございます。やっぱり、(建武帝)ではなく(光武帝)ですよね??? 現在BSで放送中の中国歴史ドラマ、【秀麗伝~美しき賢后と帝の紡ぐ愛】で、光武帝ではなく【建武帝(劉秀)】と表示されるのです。 (ん???)とずっと思っていたのですが、昨日、記事に書く時、念のためGoogle先生で確認したところ、光武帝の情報は出てくるけれど、建武帝は【秀麗伝~美しき賢后と帝の紡ぐ愛】でしか表示されなかったのです。 検索バーに(建武帝 光武帝)と予測変換が表示されたので、私のように混乱して検索した人が多いのかな?と思ったのですが、ドラマの制作は中国なので、自国の歴史に…
前回は武帝以降の漢では宦官や外戚の台頭によって皇帝権力が弱まったというところまでを解説しました。漢はそもそも紀元前202年に成立したのですが、およそ200年後の紀元8年、ついに外戚である王莽(おうもう)によって乗っ取られてしまいました。今回は王莽の建てた国家について解説します。 →紀元8年、外戚として力を持った王莽は時の皇帝平帝(14代皇帝、へいてい)が亡くなると漢の皇帝を廃して自らが皇帝となり、「新」を建国した。 平帝の皇后の父親として力を持った王莽 →王莽は周の時代の政治を復活させようとして急激に改革を推し進めたために各地で反発を招いた。(周の政治は儒教において理想とされていた) →紀元1…
10月の誕生石と虹 10月の誕生石オパールは「蛋白石」と書く。蛋白とはもともと卵の白身のことで、オパールの色が卵の白身が熱で少し固まったときの薄い膜のような半透明の乳白色をしていることによる。オパールには虹色に輝くものがあり(遊色効果)、特に人気が高く「虹色石」と呼ばれる。 空にかかる「虹」が虫偏なのは、古代中国で虹は龍の化身と考えられて、虫偏が「蛇」を、旁の「工」は「貫く」を意味して「天を貫く龍」を表した。龍には7つの格付けがあり、上位から龍→蛟→虹蜺→蜃(應)→虬(虯)→螭→蟠となっている。蛟(みずち)は水に住み龍になって天に上る直前の姿、翼があれば應龍、角があれば虯龍、角がなければ螭龍、…
漢書は高祖、劉邦を受命の皇帝として、それ以降の皇帝は普通の皇帝で、成帝に至り外戚の王氏を偏重し、ついには王莽に簒奪されてしまうのは、成帝の不徳にせいであるとする。そして、瑞祥を根拠に漢を簒奪した王莽も、天に譴責され、真の聖帝である後漢の光武帝が漢を再興するということを述べるために、作られれたらしい。
前回、二張(張昭、張紘)の孫策への仕官時期を考えた。似たところで気になるのは魯粛である。魯粛は孫策に仕えたのか、そもそも出会ったことがあるのか、ということがよく分からなくなる(私が)。また、その頃の魯粛を考えようとした時、整理しなくてはならないのは劉曄、鄭宝のことである。 まず魯粛伝を見ていく。魯粛は「臨淮東城人」と書かれる。これは後代の区分であり、後漢末においては下邳國の東城県の人、となるはずだ。ここには少し問題が残る。というのも、もともと下邳國の地は徐州臨淮郡であり、永平十五年(西暦72年)に改称され、明帝の子の劉衍が下邳王となった。79年に下邳國は拡大する。原文はこうである。>臨淮郡及九…
日本古代史年表を作りました。箸墓築造の年代については、2説記載しています。間違っているところがあれば、教えてくださると助かります。 前15万年 日本列島でも旧石器時代を確認(火と石を使う狩猟生活) 前3万年 この頃、現在の日本列島が出来上がる 前1万年 縄文土器の制作がはじまる 気候が急激に温暖化、海水面が上昇(縄文海進) 前4000年 この頃、縄文海進が最大になる 関東平野の内湾を中心に大規模な貝塚が営まれる 前1000年 関東地方では遺跡数が激減 関東平野の貝塚も激減する 前300年 この頃、朝鮮半島から稲作が伝わり北九州で水稲作耕作がはじまる 紀元前後 この頃、倭(日本)百余国に分立 5…
・44年 韓の廉斯の首長,蘇馬諟は楽浪郡に朝貢を行い、漢より「漢の廉斯の邑君」という称号を授けられた。(『後漢書』韓伝) ・57年(漢暦建武中元2) 春 倭の奴国(もしくは倭奴国)が後漢に朝賀使を送った。倭人の使者は自らを大夫と名乗った。奴国は漢光武帝,劉秀より印綬を賜った。(『後漢書』光武帝紀,東夷伝 倭) 〔要参考〕『後漢紀』「光武帝紀」は正月と記す。 ※日本列島内での水田耕作の発展によって農耕共同体は拡大したことで、集団内外の利害関係が生じ、それらの調停を行ったのが、奴国の王である大首長と首長集団であったと考えられる(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 ※韓の廉斯の朝貢を起点として、倭…
今回は志賀海神社および神功皇后伝説を取り上げる。また神功皇后伝説に関連する豊功神社、満珠島、干珠島、忌宮神社を紹介。次の流れで紹介していく。 ・志賀海神社(しかうみじんじゃ)・志賀島の神功皇后伝説・志賀島の金印・志賀海神社の境内の鹿角堂(ろっかくどう)・志賀島の金印・奈良公園のシカのDNA・豊功神社(とよことじんじゃ)・満珠島・干珠島・忌宮神社(いみのみやじんじゃ)・まとめ ■志賀海神社(しかうみじんじゃ)所在は福岡県福岡市東区志賀島。海神の総本社。龍の都とたたえられるとされている。 祭神は綿津見三神(わたつみさんしん)。・左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)・中殿:底津綿津見神(そこつ…
はじめに 難易度 第1問 様々な地域や時代に見られた体制と制度 A 中国における王や皇族の制度上の位置づけ B イングランド王エドワード(証聖王)の死後に見られた政治的動き C イギリスにおける福祉制度の改革の歴史 最後に はじめに 今回から全4回にわたって、2024年1月13日(土)に実施された「大学入学共通テスト世界史B」の解説をしていきます。 問題は次のURLよりご確認ください。 https://www.fukuishimbun.co.jp/common/dld/pdf/fe46d519cdc0e50ef3d02621341ca73c.pdf 今回は第1問の解説です。
安曇族はどこから来たのか 前回の続きになります。前回は中国の歴史について、春秋時代に、呉と越が長い間、戦っていたことに触れました。その後、中国はどうなったのでしょうか? そして、日本との関りは・・・安曇族や稲作の伝播など、いろいろな説が提唱されていますので、あくまでもその一説だと捉えてください。 呉 (ご) 周の時代、周の太伯 (たいはく) は虞仲 (ぐちゅう) と共に南方の地に行き、呉 (句呉) を建てました。(太伯は長男、虞仲は次男であり、三男に周の後継を譲ったのです。)国号は句呉 (こうご)、国姓※ は姫 (き) 。 ※国姓……君主の姓のこと。例えば、漢の劉(りゅう)、唐の李(り) など…
弥生時代に中国では 海のない、山で囲まれた信州で、なぜお船祭?安曇族って? どこから来たの?その疑問を紐解くためには、弥生時代の中国との関連を調べる必要があります。今回は、日本の弥生時代における中国の歴史背景をみてみます。 ▶ 日本では ① 縄文時代 約1万3000年前から約1万年以上もの長い間、縄文土器を使っていた時代を 縄文時代 といいます。 ② 弥生時代 水田稲作農耕が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代を 弥生時代 といいます。具体的には、紀元前300年頃から紀元後250年頃の時代です。(ただし、紀元前10世紀頃には、既に稲作が行われていたとして、弥生時代の開始年代が遡る説があり…
2022年11月10日初版発行 帯封「『草原の風』『呉漢』に続く、後漢建国の物語! 夜に輝く馬援と天高く上る日のような劉秀 乱世のなか、互いを君臣と選びとったふたりが挑む、新王朝樹立の戦い」「資料をくりかえし読んでいるうちに、馬援が、上の三人の兄の秀才ぶりをみて、劣等意識に苦しんだことが、痛いほどわかった。その後、人ではなく牛馬に接してなぐさめられ、広い心をもち、平等を根本思想として生き抜いたさまは、当時の群像のなかでは特異であり、非凡であるというしかない。それがわかってくると、光武帝が恐れたのは各地の反勢力の首領ではなく、平等の所有を提唱しそうな馬援ではなかったか、などとおもうようになった。…
入院中ちょっと気になる記事 『なかよし』麻雀セットふろくに初登場 発売日を見ると当日だった。 思わず、着替えもせずそのまま病院内のコンビニに直行! ラックの中にはなかったので店員さんに確認するとまだ入荷していないとのこと。 明日以降になるかもということだったので ネットで注文。本日12月30日到着! なかよし2月号 ふろくに興味大。 中の連載全然知らない。ごめんなさい。 麻雀は 以前から興味あり。 20代の頃、実際に体験できそうな時があったけど 結局人が集まらず 最近ネットゲームでしました。 役の大小が。。。。わかっていない。 migaru-rin.hatenablog.comそんな中、麻雀教…
星漢燦爛がハッピーエンドで私のアジアドラマの一年を締めくくったので、 幸せな気分で年越し出来そうです。 wowowのアジアドラマ部門で一位を獲得したそうですね。 エンタメでは確かに一番毎週楽しめました。 SFファンとしては「三体」を一位に押したいですけど、エンタメとしてはかなり重厚で硬質だったので楽しいテレビドラマでは無かったと思います。 テレビドラマというより、長編映画の何部作分でした。素晴らしい最高傑作作品だったので、是非wowow以外でも配信される事を期待しています。 さて、星漢燦爛に戻りますが 人生を共に歩む主人公達となり、再び結ばれる事になりました。 共に並んで歩む事は、夫婦になって…
2013年10月25日初版発行 帯封「中国史上燦然と輝く明軍、光武帝・劉秀の後漢建国の物語 世の腥風を嫌い、あえて土ばかりを見てきたが。家と一族の存亡を賭け、王莽の暴政に対して挙兵した劉秀。常識の裏を突く天才的な戦術で、幾多の困難な闘いに勝利してゆく-」 裏表紙「王莽の暴政に耐えかねた兄とともに挙兵した劉秀。次兄、姉ら、肉親を喪いながらも、官軍との熾烈な戦いを重ねる。鮮やかな戦いぶりと、その叡智に引き寄せられるように、劉秀のまわりには多くの武将、知将が集まり始め…。古代中国の精華・後漢を建国した名君、光武帝・劉秀の天下統一の戦いの日々を描く!」 劉秀の兄劉縯が挙兵し、劉秀は行動を共にした。初戦…
2013年9月25日初版発行 帯封「中国史上燦然と輝く名君、光武帝・劉秀の後漢建国の物語 あこがれ続ければ、この強い想いは現実の象になるか。鮮明な未来図を描けず、強烈に自我を押し通す志向ももたない若き劉秀。風に吹かれる草木のように運命を受け入れ、常安(長安)留学に旅立つが…。」 裏表紙「父の死により、叔父に引き取られ、使用人とともに田で働く劉秀。高祖・劉邦の子孫でありながら、鮮明な未来を描くことができぬ日々を過ごしていたが…。三国時代よりさかのぼること二百年。古代中国の精華・後漢王朝を打ち立てた光武帝・劉秀の若き日々を、中国歴史小説の巨匠が鮮やかに描きだす。」 劉秀。あざなは文叔。漢を起こした…