杣山城本丸と城址碑 北陸道を睨む杣山にあった城で、豪族瓜生氏の居城だが、伝承では大和源氏の祖となった源頼親が平安時代中期に築いたともいわれる。 もともとは、瓜生氏入部以前の杣山一帯には3千もの寺坊があり、地名も飽和庄と呼ばれていたようだが、後に越後国三島郡瓜生郷から瓜生衡が地頭となって入部した際、杣山庄と改められたという。 瓜生氏は、酒呑童子の退治で有名な源頼光配下の四天王のひとりである渡辺綱の裔で、一字名からわかるように嵯峨源氏である。衡の4代前の定が越後に移り、その孫で衡の祖父である種が、前述の三島郡瓜生郷の地頭職として住し、地名を名字としたが、承久3年(1221)の承久の乱で宮方について…