国立大学改め国立大学法人のひとつ。
松本高等学校・長野師範学校・長野青年師範学校・松本医学専門学校・松本医科大学・長野工業専門学校・長野県立農林専門学校・上田繊維専門学校を母体として1949年設置。
本部のある松本市に、人文学部、経済学部、理学部、医学部及び附属病院。
長野市に、教育学部、工学部(ISO14001取得は国立大学初)。
上田市に、繊維学部(繊維学部は全国的にも珍しい)。
南箕輪村に、農学部(国立大学最高の標高と単科キャンパス最大の面積)。
と、近いキャンパス間でも数十km、一番遠い教育学部と農学部にいたってはおよそ120km以上も離れた、蛸足大学である。
他にも諏訪湖畔の山地水環境教育研究センター等の学外研究室も多数設置されている。
この蛸足っぷりと旧国名の大学名の由来は、長野県の歴史的な仲の悪さを象徴している。
この離れたキャンパス同士を結ぶ無線ネットワークはSUNSといい、インターネット普及以前からネットワーク講義などを行っていた。
学生の出身地別構成比では長野出身者が比較的少なく、愛知が比較的多い傾向が続いている。ちなみに長野県の高校生による地元大学進学率は10%程度と極端に低い。
色々とユニークさが光る大学ゆえ、バブル期には雑誌アンケートで企業の求める人材ナンバー1に輝いたこともあったようだが、今は昔。ただしユニークさは今でも失われていないので、変り種の人材に出会える可能性は高い。
略して信大(シンダイ)。新潟大学と神戸大学も略して「シンダイ」と呼ばれるが、互いに我こそが真のシンダイであると譲り合わない。
●当ブログ管理者は兵庫県の斑鳩寺(テレビで宝物殿が取り上げられ、今は無き朝日旅行の不定期の旅行日程に組み込まれ、近隣に東芝太子工場がある)の近くで生まれ、斑鳩幼稚園に通い、大人に放置され、テレビ漬けにされた結果、非常に影の薄い幼稚園児で、卒園後に父親の転勤で川崎市幸区古川町87番地の東芝古川アパート301号室に転居し5年後に川崎区の現幸病院の裏手に転居した。(古川町87番地はその後、マンションが建っている。) ●当ブログ管理者の父親は長野工業高校から奨学金で国立大学信州大学通信工学部に下駄で徒歩で通い、防衛省東京研究所よりも東芝の給与の方が高かった為(奨学金返済優先で)、東芝社員となり、菊名の…