1892年、和歌山県新宮生まれ。作家、詩人。「田園の憂鬱」で知られるが、本人にとっても印象深い作品となる。詩人としての評価も高い。訳詩とか徒然草の現代語訳も優れている。1910年、慶應義塾大学予科文学部に入学するがやがて中退。堀口大學とは大学時代からの親友。9代続いた医者の家に生まれ、両親は「長男の春夫を医者に」と願ったが両親に背いて文学者になった。「文学者以外の何者にもなれなかった」と語っている。口語詩と文語詩についての、萩原朔太郎との論争は有名。 1964年、心筋梗塞により死去。
慶応義塾大学三田図書館旧館八角塔脇の小道を入っていくと・・・(入っていいんだろうか?と、一瞬躊躇してしまうような裏道感のある所ですが・・・入っていいんですw) 何やら小高くなっている所があります。 ここは「文学の丘」(丘?っていうか、石が積まれ土がこんもり盛り上がっているだけのような・・・いや、でも丘なんですw)。慶應ゆかりの文人たちの、文学碑や石像の並んでいる丘です。 まず目に入ってくるのは、吉野秀雄(明治35.7.3~昭和42.7.13 歌人・書家)の歌碑。 図書館の 前に沈丁咲くころは 恋も試験も 苦しかりにき 群馬県高崎出身の吉野は、『福翁自伝』(福沢諭吉 明治31.7.1~32.2.…
ひともと銀杏葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語 (「酒、歌、煙草、また女ー三田の学生時代を唄へる歌」『閑談半日』昭和9.7 白水社) (佐藤春夫) 佐藤春夫(明治25.4.9~昭和39.5.6 詩人・小説家)がこう唄ったのは、慶應義塾大学三田キャンパスの銀杏の木。 慶應の三田キャンパスには銀杏の木が何本もあるので、どの木を詠んだのか特定されてはいませんが、三田の銀杏といえばこの中庭の大銀杏。 この銀杏が金色に色づいてくると、春夫のこの詩を思い出します。 詩人も、試験には苦労したんですね。 三田キャンパスの大銀杏。 もう一本は、塾監局玄関前の銀杏の木。 …
病 佐藤春夫 うまれし国を恥づること。 古びし恋をなげくこと。 否定をいたくこのむこと。 あまりにわれを知れること。 盃とれば酔ざめの 悲しさをまづ思うこと。 この国に生まれたことに誇りを持てなくなったのはいつからだろう。 「あの頃は良かった」と昔を懐かしみ、今を否定することで心の平穏を保つようになったのはいつからだろう。 「しょせん自分はこの程度だ」と見切りをつけ、努力をしなくなったのはいつからだろう。 楽しみの先にある終わりを考えて虚しさを覚えるようになったのはいつからだろう。 常に心のどこかが冷めていて、満足を覚えなくなったのはいつからだろう。 何もかもどうしようもない、手遅れだと諦めて…
佐藤春夫の「秋の女」を読みました。 『佐藤春夫詩集』(1926年・第一書房)に掲載の一篇です。 青空文庫で読めます。→図書カード:佐藤春夫詩集 佐藤春夫は、(1892年~1964年)日本の詩人、作家。明治末期から昭和にかけて活躍しました。 弟子が多いことでも知られていて、、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、遠藤周作、安岡章太郎など、後に著名な作家になった人も多くいます。
GWからちょっと、どころかだいぶ経ちました(笑)。 そんなGW中だったある日―― BS松竹東急で「智恵子抄」の映画をやっていました。 (原作として「小説 智恵子抄」も使用されたんだとか) 後でゆっくりと観るつもりで、あらかじめUSB-HDDに録画予約しました。 「智恵子抄」がほぼほぼ愛読書のようになっている私。 期待せずにはいられませんでした。 (2022年6月17日、追記。 半ば突発的なトラブルを解決するために、USB-HDDを初期化しました。 この映画を含めて、録画していたものはすべて消えちゃいました(T_T)) 当時、映画は1967(昭和42)年に公開されました。 光太郎役は丹波哲郎さん…
そういえば連休期間中にブックオフはセールをやっていて、それにいって 何冊か購入したのでありました。ひどく読書のペースが遅いところにもって、 図書館から借りたり、いつまでかかるかわからないプルーストに手をだしたり しているのですから、とってもブックオフで買ったものの割り込む余地はない のでありますが、それでもブックオフは、大人の駄菓子屋でありまして、ここ でワンコインで何冊か購入し、読書生活に刺激を与えるのですね。 そのかいがあるのかないのかですが、購入した本が積まれるのを見て、これ は読まなくてはとすこしは気合がはいることです。 今回は連休の旅行に持っていこうかなと思ったものもあったのですが、…
普段あまりYouTubeを見ない私にも、犬のおかげでついに推しチャンネルができた。遠藤エマさんの『エマ犬(けん)アカデミー』だ。ドッグトレーナーである遠藤エマ先生は、横浜で犬のトレーニング教室を主宰しているらしい。明るく楽しくハキハキした声。たまに、遠藤エマ先生は犬の物真似をする。ロープやおもちゃを使って犬と「引っ張りっこ」をしたときにだんだん興奮してきた犬が本能を思い出して唸りはじめる様子を真似る。また、仔犬やまだ若い犬がブラッシングのとき、そのブラシや人間の手にじゃれてだんだん興奮して甘噛みしようとする様子も真似たりする。例を挙げたこの2つ、どちらも私は犬との1週間の生活の中で経験しており…
先週は夜勤だったので、仕事が終わったあと自宅の近所のスーパーに土日の分の夕餉の材料を買いに行きました。というのは嫁が仕事を始め、土日出勤をするので、せめて土日でも家事をしようという考えで、4,5年くらい前から始めました。ただこれは自分の息抜きにもなっているようで、自分の好きなものを作って食べれるという最大のメリットもあります。もっとも辛い物を作りがちなので、辛いものが苦手な娘や偏食の息子には敬遠されがちですが・・・。 スーパーで秋刀魚を家族分の4本を買いました。実は秋刀魚は先週も買いましたが、ガスレンジに併設しているコンロがあまり大きくなく、一部が生焼きになってしまい、家族から不評を買ってしま…
暑さ寒さも彼岸まで‥のはずなのに暑い‥💦 とはいえ、確実に季節は進み 美しい月を愛で🎑 虫の音に心癒される🍃 そんな時、つい口ずさんでしまうのが、佐藤春夫様の「秋刀魚の歌」 青空文庫より🍀 佐藤春夫 我が一九二二年 秋刀魚の歌 あはれ 秋風よ 情こころあらば伝へてよ ――男ありて 今日の夕餉ゆふげに ひとり さんまを食くらひて 思ひにふける と。 さんま、さんま そが上に青き蜜柑みかんの酸すをしたたらせて さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。 あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓に…
美しき町・西班牙犬の家 他六篇 (岩波文庫) 作者:佐藤 春夫 発売日: 1992/08/18 メディア: 文庫 本書『美しき町・西班牙犬の犬 他六篇』には表題作など、実に多彩な短編が全部で八篇収録されている。編者はドイツ文学者でエッセイストの池内紀。若くして遺産を手にした青年が友人の画家と老建築家を雇い、理想の町に日夜没頭する「美しき町」、散歩の途中で迷い込んだ雑木林で不思議な家を見つける「西班牙犬の家」など、ファンタジー色の色濃い作品から中国に取材した「星」「李鴻章」、自らの不器用さが仇になり、罪を犯した外科医が語る一人称小説「陳述」、著者の出身地紀州に伝わる山海の怪異を描く随筆風の「山妖…
昭和47年9月28日発行 私の履歴書 ・生まれは岐阜県長良川のほとり大字日原。高等小学校後、名古屋逓信講習所普通科を卒業し高須郵便局に逓信事務員として勤務。島田清次郎の「地上三部曲」を読んで文学の虫に取り憑かれ、ビリで卒業し、名古屋中央局に配属された。二十歳の時に林芙美子を訪ねて上京した。生田春月の「詩文学」を紹介され、逓信院と決別し、私の詩が「詩文学」に掲載された。詩壇の評論に高名だった伊福部隆輝氏からランクツーに据えて称賛された。実家から勘当され、上京して鎌倉に出て大仏次郎先生を訪ねたが不在だった。佐藤春夫さんのお宅も訪ねた。辻潤さんの宅へも月に1、2度訪ねた。覚王山の山奥で睡眠薬自殺を試…
ゼミのレポートを書き始めてから、気がつけば一か月。 小二の頃から「宿題は帰ったらすぐ済ます派」だった私にとって、課題を後回しにして長期休暇の前半を過ごしたことはアウトローな体験だった。 書くべきことが決まるまではやる気が出ないし、決まったら決まったで「まあ、まだ大丈夫」と謎の余裕が生まれる。進捗は日によってまちまちだったが、提出日まで数日を残して、なぜか急激にレポートは完成した。 「〆切」は、破ったことがない者に対しては絶大な効果を発揮するらしい。 Z会の提出目標日は破りまくっていたのに。自分でも不思議だ。 レポートにかかりきりだったおかげで、休みが終わる絶望感を味わわずに済んだ。 ギリギリま…
4月9日誕生日の全国35万人の皆さんおめでとうございます (拙句) 告白をするもよしなし翁草 雅舟 【花】オキナグサ 【花言葉】華麗 告げられぬ恋 【短歌】翁草咲く丘ありてひとり行く想い告げ得ぬ遠き日ありて ほのかな想いを抱いても、告げることのできなかった若い日がありました。「告げられぬ恋」の花ことばを持つオキナグサの咲く丘を、ひとり歩きながら思い出しました。 【季語】翁草【俳句】 翁草手になだらかな山の芋 石原 八束 ながらふる限り旅せむ翁草 仁藤 稜子 翁草 春酣の山 わびし 瀧 春一 【三行詩】 万葉集では「ねつこぐさ」 やがて毛が生え「白頭翁」 今では絶滅危惧種「翁草」【万葉歌】芝付き…
阿部雪と行徳橋にて 1952年(昭和27) 昭和18年(1943) 10月3日、ガス風呂許可の届け書きを出せと言われ風雨のあと空が晴れたのをさいわいに赤坂新町のガス会社出張所におもむく。・・妓家はいよいよ多くなったようで稽古三味線の音がしきりに聞こえ、浴衣に半帯がだらしない抱え子が三々五々物買いに歩くさまは戦乱の世とは思われない。妓界の景気がはなはだ盛んであることを知る。世の噂に珈琲店はやがて撲滅されるけれど妓界は新橋赤坂の二か所があるかぎりますます繁昌するだろうと言って今は官吏軍人の堕落を怪しむ者もなくなったようだ。世の中は星に錨に闇と顔馬鹿な人達立って行列とかいう落首を口にする者さえいない…
20240403Wednesday 7:00起床。雨。洗濯。部屋干し。K出勤。家内OFF。 8:20PCBLOG。散歩なし。NET。 YTで方丈記や徒然草などの現代語訳を聴く。 語訳は佐藤春夫。雨の、雨読のバリエーションとしてはいいだろう。 老いの身に沁みる厳しい指摘もある。 10:00お茶 菓子。読書。 11:30飯の支度。残飯CARRY。 不思議なことに CARRYの残りはこの昼で尽きる。稀有なことだ。幾日も持ち越すのだが。 要因は不明。 12:00摂食。 12:30PC BLOG NET。 13:00読書。 14:30BLOGUP NET。 15:00お茶 冷凍の焼き芋をいただく。 15…
1/1(月) 本当のところ愛する者だけが相手を傷つけることができるのだ。 (ホルヘ・ルイス・ボルヘス『闇を讃えて』斎藤幸男訳 水声社 p8) 誤りだけがわれわれのものだ。 (p11) これらのしるしはわたしの永遠からこぼれ落ちるのだ。 (p21) われらはわれらの記憶、常ならぬ形象にあふれた空想の博物館、破れた鏡の寄せ集めにすぎない。 (p29) 代る代るに演じてきた自分をもはや覚えていないわたしは単調極まりない壁と壁とが取り巻く厭わしい道、運命を今なぞり行くのだ。 (p38) わたしはあなたが知らずに救う人々なのだ。 (p103) 1/2(火)その1 『辻邦生 全短篇1』(中公文庫 1986…
ソプラノの坂井里衣さんをお招きし、2024年 最初のこもれびコンサートを開催しました。 ~プログラム~ 花(武島羽衣作詞 滝廉太郎作曲) からたちの花(北原白秋作詞 山田耕筰作曲) 淡月梨花の歌(佐藤春夫作詞 大中恩作曲) 紫陽花(北山冬一郎作詩 團伊玖磨作曲) 荒城の月(土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲) 母(竹久夢二作詞 小松耕輔作曲) やわらかに(北原白秋作詞 髙田三郎作曲) たたへよ、しらべよ、歌ひつれよ(三木露風作詞 山田耕筰作曲) 桜の季節ということで、前半は『花』を テーマにした歌曲を歌ってくださいました💐 「あら? 私、間違ってる?」と思うほど 不思議な響きが続く『紫陽花』、画家だと…
かつて浜松の時代舎で見つけた無名の詩集に関して一文を草したことがあった。それは「廣太萬壽夫の詩集『異邦児』をめぐって」(『古本探究Ⅱ』所収で、この詩集が鳥羽茂のボン書店の前身である鳥羽印刷所で刷られ、花畑社から昭和四年に刊行されたこと、花畑社は詩誌『花畑』を発行し、廣田がその同人であり、銀座の弥生商会に勤めていたことまではたどってみた。ところが探索はそこで途切れてしまい、『異邦児』を読んだことによって、廣田の詩と時代のコアを浮かび上がらせることを試みるしかなかったのである。 しかし『異邦児』の場合、わずかな手がかりをたどって、昭和初年の無名の詩集と詩人と出版社をトレースしていくことは可能だった…
群馬県へのお墓参りを終えた翌日は、新潟県内のお墓参りです。 あいにく彼岸は過ぎてしまいましたが、これもしょうがないこと。 家の食事等の買い物は、あらかじめ済ませておいたので、行動としては楽です。 当日は少し遅めの午前7時前に起床。 まずは前日のお土産の処理です。 キノコのイシヅキを取って冷凍の準備。 完了! 白菜も少し痛んできているので冷凍します。 完了! なんとか冷凍庫に収めることができました。 今回はキノコと蒟蒻は家内の会社の同僚にお裾分けします。 午前10時前に出発。 まずは一番遠い村松へ。 この日は前日とは打って変わって気温が上昇! 村松に着く頃には10℃を超えました。 やはりお彼岸を…
独ソ開戦まえの欧州 昭和16年(1941) 4月4日、新橋橋上のビラにもう一押しだ我慢しろ南進だ南進だとあった。車夫の喧嘩のようだ。日本語の下賤を今は矯正する道がない。 4月9日、終日パーレーの万国史を読む。(実際の作者はナサニエル・ホーソーン)この書はわたしが少年のころ英語の教科書に用いられていたことがある。今日たまたまこれを読むと米国人の米国を愛する誠実な感情が藹然として人を動かすものがある。愛国心を吐露した著述中のもっともよいものというべきである。日本にはこのような出版物がほとんどない。 4月10日、午後昼飯を銀座で食べて直にかえる。街頭電車ともに醜悪な老婆田舎漢で雑踏していた。 4月1…
何て読む? 昭和16年(1941) 1月1日、「風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰いうけたる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに飢えをしのぐ。思えば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過ごしたり。始めは物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変せし今日になりてみれば、むさくるしくまた不便なる自炊の生活その折々の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるる事多くなり行けり。時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣いながら崖道づたい谷町の横町に行き…
1981年8月、短歌新聞社から刊行された稲葉京子(1933~2016)の第3歌集。装幀は大越芳江。著者は江南市生まれ、刊行時の著者の住所は杉並区下井草。 昭和五十年秋から、五十六年初めまでの三百五十首をまとめて一冊とし、『槐(えんじゅ)の傘』と名付けました。 この集は、私の三番目の歌集にあたりますが、ここに在った年月を、私は今までになく烈しく歌を思い、歌に執し、歌を得るべき純粋な空間を求め続けました。 そんな私を励まし暖かく見守り続けて下さった皆様、本当に有難うございました。 第一歌集、第二歌集からいくばくの進展をなし得たか、心もとない限りですが、皆様のお力添えにより第三歌集を纏める機会を得ま…
はじめて平山周吉という活字を目にしたときは本名かペンネームか知らなかった。ペンネームだと映画「東京物語」で笠智衆の役名をそのまま用いたのだからおもしろいワザを使ったものだと感心したが、ちょいと胡散臭さも感じた。 いまはペンネームと知っている。著者の単著一覧をみるとさいしょは『昭和天皇─「よもの海」の謎』(新潮選書)で、二0一四年の刊行だから、平山周吉はこのすこしまえから用いたと推測される。 その後、どういう人なのか気になりながらその文業に接することもなかったところ、過日草思社から刊行された『昭和史百冊』を読んで胡散臭さは吹き飛んだ。文献の博捜はただならず、それらの的確な要約と引用をもとに自身の…
■「北海道文学館報」第136号(2024年3月6日発行)~特別展「左川ちか 黒衣の明星」に寄せて~に、拙稿を掲載戴いております。2023年11月23日に開催の朗読会「左川ちかの詩朗読と室内楽」、翌24日の「左川ちかトリビュートバイリンガル朗読会」(思潮社)について書かせて戴きました。同頁に冬木美智子さん、吉成秀夫さんの寄稿もあり、左川ちかの詩の言葉に溢れたあの日の熱気が蘇ってきます。https://youtu.be/7773CeExc2Q?si=2LOdiYbQLW7Tj_kw【動画】~左川ちかの詩朗読と室内楽~11月23日(木・祝)14時~北海道立文学館での特別展「左川ちか 黒衣の明星」関連…
新宮は文人の佐藤春夫や中上健二、医師の大石誠之助が生まれ育った街だ。熊野三山のひとつ熊野速玉大社を擁する信仰の街であり、熊野の木材の集散地として栄えた街でもある。新宮から運ばれた木材は江戸時代から明治、関東大震災を経て、昭和前期にいたるまで東日本を支え続けた。 今日もいつものように電車に乗っている。熊野川を越えて県境を跨ぎ新宮に至る。しかし、到着したにもかかわらず、線路はすぐに地図上から隠れてしまう。この街ではじめに見えたのは、新宮城址の地下を通るトンネルだった。電車を降りたらまっすぐに、正しい地図を確かめるため、城跡のある小高い山に登る。高いところから見下ろすと、一つの街を理解したような錯覚…