戦国武将。織田家家臣。(1527年〜1581年)
織田信秀の代から仕え、さらに信長の最初期からの重臣となる。織田家の主要な戦闘に概ね参加している。
対本願寺戦終了後の天正8年に、戦での消極性などを理由とする折檻状を信長に出される。そして嫡男の信栄とともに高野山に追放され、翌年死去している。
戦でもっとも難しいと殿軍(しんがり)の指揮に優れたことから、「木綿藤吉、米五郎左、かかれ柴田に、退き佐久間」と称されている。
大河ドラマ『どうする家康』主演の松本潤さんなどが参加した「浜松まつり」の騎馬武者行列が5月5日、浜松市で行われた。松本さんは沿道を埋めた観衆に笑顔で手を振りながら、市の中心部を練り歩いた。 松本潤さん「徳川家臣団、出陣じゃ!」…浜松まつりに68万人詰めかけるhttps://t.co/Z95EbiL6ra#カルチャー — 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) 2023年5月5日 『どうする家康』第17話「三方ヶ原の合戦」も主な舞台は浜松だったが、当然ながら、劇中の松本さんが演じる徳川家康(1542~1616)に全く笑顔はなかった。元亀3年(1572年)、阿部寛さんが演じる武田信…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」明日(2月7日)最終回です。 友だちといつも電話で「麒麟がくる」の話題で盛り上がっています。 主人、 「よくそんなに話しがあるね。」 って呆れかえっています。 私たちの中では、 長谷川さんは、光秀で、 光秀は、長谷川さんになっています。 もちろん、染谷将太さんは信長ですし、佐々木蔵之介さんは秀吉です。 ほかの俳優さんもそうです。 そして、 回を進める度に切なくなってきます。 金子ノブアキさんが演じました佐久間信盛、追放され出家して高野山へ、、、。 あんなに忠誠してたのに、実直で不器用で悲しくなりました。 同じく、実直な光秀、本能寺の変でどんなに描かれるのかしらね。…
フハハハハハ!面を上げよ!!!!! ※ドラマのネタバレを含みますのでご注意ください。 ※管理人はさほど歴史通ではありません。また芸能にも極めて疎い人間です。それぞれにわか興味で語ってるのでご了承ください。 ※一部人物名はドラマ内で複数の呼び方がありますが、広く世間に知られている方で記載するものとします。(例:十兵衛⇒光秀) 麒麟がくる第43話!いよいよクライマックス!どこまでも己の気のすむままに昇り龍となろうと言う織田信長!・・・光秀の思いは・・・!? ・前置き ・物語感想 ・波多野の首 ・三職推任問題 ・闇に光る樹の夢 ・光秀と家康 ・家康の接待 ・キャスト感想 ・戦国アイテムアレコレ ・お…
飛鳥時代の古代官道・上ツ道をルーツとし、現在の奈良市と桜井市を結んだ上街道は、中世以来、大和国内の主要な南北幹線であり、沿線には古代から近世までの長い歴史の中で生まれた名所・旧跡が多く残されています。 この上街道沿いの散策スポットを当ブログで紹介していますが、前回は奈良市南郊の帯解周辺エリアをご紹介しました。 今回は、上街道から分岐し、五ヶ谷街道を東へ1kmほど歩いた場所にある窪之庄城をご紹介します。 窪之庄城の場所はこちら。 国道169号線沿いの窪之庄集落北側にある城跡で、奈良県平野部の城跡には珍しく中世館城の土塁と堀が良好に現存する貴重な城郭遺構になります。 窪之庄城とは 窪之庄城跡 八坂…
秀吉の活:木下昌輝 総合:★★★★(太閤殿下の魅力度:★★★ 話の面白さ:★★) ホワイト秀吉様です。秀吉関連の小説の面白いところは作者によって秀吉像がホワイト寄りか、ブラック寄りかに分かれるというところかなと思います。(私は秀吉様はブラック寄りの性格をしているとは思っています) このお話はピュアな太閤殿下を楽しめる作品です。秀吉の生まれから晩年を描いておりますが、合戦などの描写は細かくないので、合戦の臨場感みたいなものは楽しめません。どちらかというと人間関係とか日常に重きを置いている感じです。 信長様・秀吉殿下の主従関係が大好きな私は二人の絡みにもにやにやが止まりませんでした。いやー、尊いで…
今村翔吾『戦国武将を推理する』(NK出版新書)を読了。1984年生まれの若い直木賞作家のエッセイ本。歴史小説に立ち向かう姿勢、考え方を追った。 人物研究は自分だけのプロファイルをつくることでいいというメッセージである。人物像は真実であるかどうかは、もともと不明であり、それを推理する権利があるということだ。 この作家が人物を選ぶ場合には、現代のテーマと絡めて選択している。つまり、歴史小説は、現代を描く小説なのだ。 戦国武将を推理する (NHK出版新書 717) 作者:今村 翔吾 NHK出版 Amazon 以下、戦国の三傑の見方。 織田信長:アップル創業者のスティーブ・ジョブス、大谷翔平に匹敵。織…
今年26冊目読了。タレントにして歴史マニアの筆者が、ポンコツと評される武将の実態と魅力に迫るちょっと変わった一冊。 かなりマニアックな本なのだが、そこから見える人物像、人の成功は何なのか、ということなど、なにげに考えさせられる。 小田氏治について「9回も城を落とされるなど敗戦を重ねたが、戦場で命を落とすことなく戦乱を生き抜いた」「何度も城を落とされているということは、何度も取り返しているということ」「百姓たちは、氏治以外の大名が城に入れば姿を隠し、年貢を納めなかった」。 源行家については「合戦では負け続けの武士人生を送り、軍事においては『無能』と称されてしまうが、『以仁王の令旨』を受けて源氏の…
以上、『わたしの幸せな結婚』(2023:塚原あゆ子)より 以上、『仕掛人・藤枝梅安2』(2023:河毛俊作)より きょう3月14日は、浜田学(はまだ まなぶ)さんの誕生日です。1976年生まれの48歳になりました。おめでとうございます。東京都出身。東京農業大学第一高等学校卒業。文学座俳優養成所を経て、父親・浜田晃とともにアルファエージェンシー所属。 浜田学さんの映画最近作は、 2022.01.29『修羅の世界』(2022:藤原健一)、 2022.07.22『島守の塔』(2022:五十嵐匠)、 2022.08.13『あいたくて あいたくて あいたくて』(2022:いまおかしんじ)、 2022.1…
ランキング参加中日本の歴史唯一の味方であった義父斉藤道三を失い、絶体絶命の状態に陥った信長。 しかし、信長はここから僅か3年で尾張を統一してしまいました。 越前攻めの時と言い、本願寺攻めの時と言い、信長はその生涯において、幾多の絶対絶命のピンチに陥っていますが、私はこの時が最大のピンチであったと言いたいです。 何せ前回述べたように尾張中の殆どの武将たちが信長に敵対してしまい、信秀時代からの重臣のうち信長に付いたのは佐久間大学と佐久間信盛を始めとする佐久間一族*1だけだったのですから。 ただ信長は父信秀存命中より、領国内から多くの若武者達を集め子飼いの兵として養っていました。 一説では、信長子飼…
戦国大名伊勢北畠氏の歴史 その4 1577~1584 具教粛清後(1577)からの信雄時代です。 これが最終回。 ●2月15日 いくつか内容を追加しました。(追加って書いてあります) その1、その2、その3はこちら dainagonnokura.hatenablog.jp dainagonnokura.hatenablog.jp dainagonnokura.hatenablog.jp 1577 雑賀攻め 1577 北畠具親の反乱 1577 具親、川俣で挙兵する 1578 播磨国・摂津国を転戦 1579 第一次天正伊賀の乱 1579 信長、怒る 1579 伊賀攻めの理由 1580 信雄、許され…
戦国大名伊勢北畠氏の歴史 その2 具房の家督継承(1562)から大河内合戦(1569)までになります。 ここからはちょっと詳しく書いていきます。書状の内容とかはテキトーな意訳なので深く考えんといてください。 その1はこちら dainagonnokura.hatenablog.jp 1562 具房家督を継ぐ 1563 志摩出兵 1563~1564 長野氏と合戦 1565 永禄の変 1567 織田氏の北伊勢侵攻 1567 木造荘の直務問題 1567 謎の動乱 1567 宇陀郡の奪回 1568 信長の第二次伊勢侵攻と長野氏の寝返り 1568 織田氏・長野氏との開戦 1569 隠謀あらわれ 1569 …
応仁の乱より百年。 長く続き過ぎた戦国の世は、いよいよ終わりが近づきつつあった。 天下布武を掲げ上洛した織田信長は、浅井・朝倉・そして戦国最強と謳われる武田を次々と降し、その勢力を着実に広げていく。 そして天正5年(1577年)、信長本隊による播磨・赤松攻め、山岡による六角攻め、伊勢貞興による対足利反乱、松永久秀による対三好反乱、そして明智光秀と徳川家康による京都侵攻という多方面同時作戦によって、包囲網を背後から支える将軍・足利義昭の権力簒奪を狙っていったのである。 しかし、翌天正6年(1578年)7月21日未明。播磨攻めから帰還していた織田信長が滞在中であった本能寺が何者かによって火をかけら…
●戦百景 本能寺の変 矢野隆 本能寺の変に至るまでのエピソードのいくつかに焦点を当て、信長と光秀それぞれの視点から二人の想いを描く。8章からなる。 1章 信長 信長の視点。信長と光秀の出会い。細川藤孝の家臣であった光秀は、主の命により義昭上洛の協力を求めるために信長に会いに来るが、信長は光秀の不思議な態度に興味を惹かれることになる。 2章 光秀 光秀の視点。上洛した義昭、信長が京から去ったのを狙って三好三人衆が義昭を襲う(本圀寺の変)。逃げようとする義昭を思いとどまらせる光秀。 3章 信長 信長が比叡山焼き討ちを命じる。他の家臣が仏罰を恐れるなか、光秀は信長の命に従うことを表明する。その理由は…
2023年10月21日 有松 重要伝統的建造物群保存地区の町並みを眺めつつ、かつての絞問屋の竹田家住宅までやってきました。庇の屋根の上には明治期のガス灯が残っています。これは、財力があったからなのでしょうか。
朝、善福寺川沿いを走ってきました。雨上がりの道を気持ちよく走りました。これから床屋に行こうと思っています。 「日本史1200人」387 佐久間信盛(?〜1582) 武将、大名。約30年間、織田氏家臣団の筆頭家老として家中を率いた。「退き佐久間」と謳われたが、むしろ織田軍の先鋒としての侵攻戦での手柄のほうが多く記録されている。信長上洛後には行政担当者の1人に選ばれ、大和国の松永久秀を交渉で味方に付けたりもしている。しかし1580年、信長から19ヶ条にわたる「折檻状」を突きつけられ、軍団長と筆頭家老の地位を捨て織田家を離れた。実質的には追放であり、嫡男の信栄と少数の郎党達らと共に高野山へと上った。…
人生において自分の強みを見つけることは、多くの人々が共通の悩みとして抱えています。しかし、歴史に名を刻んだ偉人たちも同じ悩みを抱え、その答えを見つけ出したのです。西暦を超えて輝き続けるキリストや釈迦、古代ギリシャの哲学者アリストテレス、戦国時代の織田信長、英国の劇作家シェイクスピア、幕末の志士坂本龍馬、そしてルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼らは自身の強みを見出し、世界に大きな影響を与えました。あなたも自分自身の強みを見つけることができます。まずは悩みを言い換えてみましょう。それはあなたが自分自身を客観的に見る第一歩です。そして、その悩みに共感しましょう。偉人たちも同じ悩みを抱えてい…
こんにちは!愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。今日は名鉄の鳴海駅を起点に歩いてみようと思います。 鳴海駅のあるこのあたり、昔は遠浅の海だったそうです。 鳴海宿本陣跡 鳴海城跡公園 根古屋城跡 成海神社 鳴海宿本陣跡 鳴海駅の北側、扇川を渡って左手に旧東海道鳴海宿本陣跡があります。鳴海宿は池鯉鮒宿と宮宿の間に挟まれた、東海道40番目の宿場町です。 こちらは祭の山車を収納する倉庫でしょうか。ここに本陣がありました。 本陣があったことを示す看板です。 近くの三菱UFJ銀行鳴海支店前に、復元された鳴海宿高札場があります。 高札の実物は名古屋市博物館に保管されていることが記されています。 鳴海…
1559(永禄2)年に始まる三好氏重臣・松永久秀による大和侵攻で、父・順昭の代に大和を統一した筒井氏を率いる筒井順慶は本城・筒井城を奪われて劣勢を強いられました。 1564(永禄7)年、三好長慶の死によって三好家中に内訌が発生すると、順慶は三好三人衆と組んで勢力を挽回。久秀を多聞山城に追い込み、筒井城を奪回します。 ところが1568(永禄11)年9月に織田信長が足利義昭を奉じて上洛を果たすと、かねてより義昭、信長と誼を通じていた久秀が再び勢力を盛り返して三好三人衆は阿波へ逃亡。 信長によって義昭への帰参を認められなかった順慶は、信長の援軍を受ける久秀によって再び筒井城を奪われ、東山中へと逼塞を…