1897年1月23日〜1948年10月9日 日本の政治学者。ジャーナリスト。東京帝国大学法学部政治学科。 大学卒後は直ちに東京帝国大学法学部副手となりその後、九州帝国大学法文学部教授となった。しかし、1928年(昭和3年)九大事件で共産主義者の嫌疑がかけられて大学を追放された。大学を追放されてからはジャーナリストとなり、朝日新聞記者などとして活動した。1947年に第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し当選、緑風会に参画した。
2024.1.4❝天才「仲小路彰」の大東亜戦争観が日本再出発の原点❞ 絹声七色 2024年1月4日 いまだ知られざる歴史哲学者・仲小路彰(なかしょうじあきら)は、東京帝大哲学科時代、井上哲次郎、姉崎正治、和辻哲郎ら教授陣に「天才」と言わしめた。「未来学原論」は昭和22年に「未来学」「地球主義(グローバリズム)」という言葉と概念を使い、驚くべき壮大な体系的構想力で21世紀の日本の進路と世界の未来像を描いた。 仲小路彰 - Wikipediaja.wikipedia.org 『ウィキペディア(Wikipedia)』 仲小路 彰(なかしょうじ あきら、1901年2月26日-1984年9月1日)は、日…
< 23 > 明治維新の嘘 私は、織田信長公暗殺の黒幕を 千利休やキリシタン大名、イエズス会と つるんだ藤原氏、家康などではないかと 考えています。 利休の「茶の湯」はカトリックのミサとよく似ています。 弟子にはキリシタンも多くいました。 細川忠興の妻の明智たまも 父親の死後ですが改宗しガラシャと名乗っています。 戦中に総理大臣だった(藤原氏)近衛文麿の娘を 部下だった細川護貞が娶って生まれたのが細川護熙です。 細川さんが酷い首相だったかと言えば、 そうも思わないし、近衛文麿も、犬養道子さんの自伝などを 読む限りでは、そんなにファッショ的な人物でもないように 描かれてはいますが。インターネット…