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伊達政宗

(社会)
だてまさむね

室町時代の陸奥国の武将。
京都(室町)の幕府と結んで関東(鎌倉)公方と対立する。

伊達政宗

(社会)
だてまさむね

戦国・安土桃山・江戸時代の武将。父は輝宗。母は最上義光姉妹(義姫)
米沢で生まれる。
幼少の頃、疱瘡で右目を失ったが、片倉景綱(小十郎)、茂庭綱元らの重臣に恵まれたこともあり、勢力を拡大。
1584年に家督継承時は、陸奥・出羽(長井・信夫・伊達3郡とその周辺部)約30万石強の石高から、曽祖父・伊達稙宗の代から縁組などで「親戚」同士だった、常陸の佐竹氏を含む南奥諸家との抗争の末、会津の蘆名氏を滅ぼして家督系継承から僅か6年で奥羽66郡のうち約30郡・百数十万石以上の領土を持つ全国有数の大名となって南東北の覇権を握り「独眼竜」と呼ばれた。
しかしその直後、豊臣秀吉に臣従し、第一次奥州仕置で72万石、第二次奥州仕置で58万石に減封の上、出羽・米沢城から陸奥・岩出山城に転封となる(関ヶ原の戦い後に4万石加増の上、仙台城に移転)。
その一方でスペイン・ローマに使節を派遣するなど
仙台藩62万石の基盤を確立させた。長男・秀宗は宇和島藩主となった。

参考:伊達政宗言行録―木村宇右衛門覚書

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