1915年9月7日〜2008年11月10日。三重出身の数学者。微分方程式に確率概念を持ち込み、確率微分方程式という分野を創立した。これによって幾何ブラウン運動はボラティリティと時間の関数としてあらわすことができるようになった。金融工学の基礎となるブラック・ショールズ方程式に「伊藤のレンマ」が使われたことから「ウォール街で最も有名な日本人」といわれた。ただし本人は数学理論の応用には無関心であったといわれる。 06年にガウス賞を受賞。 京都大学名誉教授。
これは独立美術協会物故会員の洋画家熊谷登久平関係者向け用の報告メモでもあります。 オーラルヒストリーの裏付けになれば良いと、熊谷明子の個人の感想も含め、気が向いたら更新しています。 登久平と、義母と義兄、お弟子さん、甥の英三さんを中心とした千厩のメンバーが残してくれた資料、その断片、一関の平澤家の資料、それと古書や上野の山にある文化財研究所や国会図書館などで見つけたものを元に、見つけ次第年度に書き込んでいるため、年度内の順は適当になっており、スマホ画面で入れ替えるのは面倒なのでそのままです。 何月何日の展覧会かは検索したら出てくる場合もありますが、ごめんなさい。 熊谷登久平の次男である熊谷寿郎…
ここでは大学での確率論のおすすめ参考書を紹介します。 学部3年~4年から学ぶことが多く、また測度論やルベーグ積分の知識が求められるため、それに対応した本を選んでいます。 1,『確率論』伊藤清 1.5,『ルベーグ積分入門---使うための理論と演習』 2,『確率論 講座数学の考え方』 3,『確率論 講義ノート』 4,『ルベーグ積分から確率論』 (共立講座 21世紀の数学) さらにレベルの高い確率論 Amazonで購入する方必見! 1,『確率論』伊藤清 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a; b[a]=b[a]||function()…
現在2023年12月20日20時20分である。(この投稿は、ほぼ2501文字)麻友「写真集か何か、買ったの?」私「そういう綺麗さではない」若菜「お父さん、とうとうあの本取り出して・・・」結弦「一昨日、アマゾンから、あの本届いたんだよな」麻友「一昨日買った本が、綺麗なの?」私「一昨昨日買って、一昨日届いたのは、この本」量子数理物理学における汎関数積分法作者:新井 朝雄共立出版Amazon麻友「まあ、表紙のデザインは、悪くないけど」私「この本を、見ていくと、現代確率論の手法を、用いている」麻友「量子数理物理学ってことは、量子力学?」私「父が、超伝導を研究していたとき、ランダウとリフシッツの理論物理…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 信濃・上田における真田昌幸と徳川秀忠の戦いは、美濃・関ヶ原の戦いの一局面であった。 ・ ・ ・ [歴史探偵] 幻の江戸攻撃作戦 直江兼続 伊達政宗 連合す!| NHK 2023/01/18 「歴史探偵」今夜も歴史の謎が解き明かされる http://nhk.jp/rekishi-tantei?cid=dchk... この作戦が実現していたら関ケ原の戦いは無かった――。西軍・石田三成の対家康決戦構想には、上杉家・直江兼続による、上杉はじめ東北諸将の連合軍を形成し、徳川家康の本拠地、江戸…
◎エニグマ(暗号機) エニグマ (Enigma) とは、第二次世界大戦でナチス・ドイツが用いたローター式暗号機である。幾つかの型がある。暗号機によって作成される暗号も広義にはエニグマと呼ばれる。名称はギリシア語に由来し、「謎」を意味する。 エニグマ暗号機 エニグマ暗号機は、1918年にドイツの発明家アルトゥール・シェルビウスによって発明された電気機械式暗号機械で、1925年にはドイツ軍が正式に採用。続いてドイツ政府や国営鉄道なども採用し、3万台以上を販売した。 暗号方式は換字式であり、詳しくは順変多表式である。エニグマはM-209(英語版)と同様な反転暗号となり、暗号文を同じ鍵で再暗号化すると…
宝永2年11月11日。申(午後3時)過ぎ、近江守小姓役伊藤清兵衛妹が逐電する。この娘は大田弥兵衛に嫁いで、女の子を1人産んでいた。弥兵衛が乱心した後は女の子とともに兄に世話になっていたが、3年前に愛宕の山伏に嫁いでいた。その前から清兵衛のところで盲人のいろ都と関係を持っていた。このため山伏は離別したが、その時子を孕んでおり、その後男の子を産んだ。この子は男の子であったので山伏に遣わした。この女をたよという名であった。このためいろ都をたよ都と名を改めていた。翌12日、清兵衛のところから乗物を遣わして迎える。たよ都の借宅は桜の丁通りひさやかぢや丁の間の北側であった。女が現れて言うには母・兄・娘を捨…
昨日は池之端画廊の上野の森を巡る画家たち展の広報活動で、藝大や文化財研究所をはじめ、あちこちに挨拶周りをしました。 『墓と塔のある上野の山のおく、ここは若い長谷川にも私にも巴里の連中のように、モンマルトルであつた。この私達のグループのために、『ル・カポー』といふ酒場が東京のモン・マルトルにつくられた。この酒場が、私達に吞み倒されるまでの一年間ほど私達にとつて幸福なことはかつてなかったであらう。 矢野文夫編纂発行の『夜の歌(長谷川利行とその藝術)』1941年11月15日発行より抜粋)』 ル・カポーは上野桜木の寛永寺近所の言問通り沿いにあった。 『 東京の美術村 太平洋美術協会百年史からの抜粋で、…
今日は熊谷登久平の122歳の誕生日。 「熊谷明子さんをはじめ、丸井隆人さん、松山庭園美術館、太平洋美術会の協力を得て、㊗️芸工祭前半企画2023.10.4から10.15上野の森を巡る画家たち展開催いたします。 聞けば、芸工祭とは100年以上も続く谷根千地域をあげての歴史ある祭りだそうです。 今回は清水町(池之端四丁目)ゆかりの画家大河内信敬、望月春江、丸井金猊らをクローズアップに、上野不忍池の石碑のある長谷川利行、熊谷登久平から絹谷幸二のエピソード話、真島町にありました太平洋美術会会長の堀進一、朝倉彫塑館の朝倉文夫、木内 克らの彫刻家の活躍を紹介していきたいと思います。 皆様のご協力のもと、お…
金融工学といっても、とてもじゃないが「科学」と呼べる域には達しておらず、その胡散臭さは身内からも指摘されて久しい。数学や物理学の研究者からすれば、「似非科学ではないか」との疑念を抱かれるだろうと想像される。確率論をその定量的側面だけではなく定性的な側面まで含めて学べば学ぶほど、そういう疑念が増してくるのも無理はない。 とはいえ、ある程度役には立つのも確か。例えば、ヨーロピアン・コールオプションやプットオプションの拡張に当初から数値解析手法が用いられてきたわけだが、これらが更に応用され、オプション評価の簡易化や複製ポートフォリオの構築に必要な数値計算が可能になった。この点で、ブラック、ショールズ…
確率分布の『~』とは? 使用例 本&参考書 おすすめ 確率分布の『~』とは? 当たり前、ということで説明が省かれることが多い『~』とはなんでしょうか。 ここで簡単に解説しますので、覚えておきましょう。 例としては、 で、『は、分布に従う』と読みます。 英語では、『X is distributed accoding to F 』で、 このdistributedは分布『distribution』からきています。 『参考文献:新装改訂版 現代数理統計学』で確認できますので英訳としては正しいといえるでしょう。 Google翻訳では『X follows the distribution F』。 こちらで…
これは独立美術協会物故会員の洋画家熊谷登久平関係者向け用の報告メモでもあります。気が向いたら更新しています。登久平と、義母と義兄、お弟子さん、甥の英三さんを中心とした千厩のメンバーが残してくれた資料、その断片、一関の平澤家の資料、それと古書や上野の山にある文化財研究所や国会図書館などで見つけたものを元に、見つけ次第年度に書き込んでいるため、年度内の順は適当になっており、スマホ画面で入れ替えるのは面倒なのでそのままです。 何月何日の展覧会かは検索したら出てくる場合もありますが、ごめんなさい。 熊谷登久平の次男である熊谷寿郎(私の配偶者)は登久平の著作権を持ってないとの指摘がございましたが、法に基…
昭和19年、義父の友人だった独立美術協会会員の宮崎精一の谷中初音町時代住所を見つけた。 谷中初音町2-3 友人の宮崎精一夫妻に谷中初音町の借家を紹介する。(熊本美術館で1988年に開催された宮崎精一展の図録より。) 『1943 (昭和18年)31歳 (宮崎精一は)図画教師をやめ、 上京。 荒川区尾久町の畳屋の二階を間借して制作に没頭する。 近くに軍の戦車工場があり、道路をタンクが通るたびに、四畳半二間がゆれて、 キャンバスがぐらつく。熊谷登久平の紹介で、 谷中初音町に転居。 墓地の近くにあって静かな環境であった。 近くに島村三七雄、鶴岡政男、 堀進二、 熊谷登久平がいた。熊谷宅には、時おり里見…
ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン (14) 作者:荒木 飛呂彦 集英社 Amazon 4月27日の視聴 ・『宇宙兄弟 #39「月の錯覚」』 →前回まではこちら⇩。 【2023年『3月16日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20230407/1680794292】 →あれ?録れてない…?なんか他のと被ったかいな? ◇ ・『宇宙兄弟 #40「天国で地獄」』 →オープニング、フジファブリックか。志村正彦⇩が死んだあとだろうか…。 【2020年『2月11日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/e…
元禄13年8月17日。橘町裏で十三郎の狂言が行われる。夜、寺西図書同心大田伝左衛門が屋敷の庭に筵を敷き、その上で腹を切り、咽を突いて死ぬ。近眼(あさはか?)である。この盆の最中に町人に逢い、はなはだおくれとるような行いがあったと。女の子が1人おり、妻は近江守家来200石取伊藤清兵衛の娘であった。