天平宝字5年(761年)?〜宝亀6年4月27日(775年6月3日) 日本の奈良時代末期の皇族。皇太子。父は光仁天皇で母は井上内親王。 聖武天皇の外孫で皇太子だったが、母の井上内親王が夫である光仁天皇を呪ったという大逆容疑により、母に連座する形で皇太子を廃された。その後、大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)没官の邸に幽閉され、幽閉先で母とともに急死した。
11月30日、奈良市春日野の春日大社境内で江戸時代から続く、春日荷茶屋の月替わりの万葉粥を食べるため早朝に名古屋を発つ。 大和八木で乗り換え西大寺駅から奈良駅へ向かう。通勤時間と重なり奈良までは生憎立ったままだった。 約3時間ほどで近鉄奈良駅に到着。春日大社に向かい参拝を済ませ、かみさん待望の万葉粥(きのこ)を目指し春日荷茶屋へ。 冒頭書いたように春日荷茶屋の万葉粥は月替わりのため、11月のきのこ粥はこの日が最後。やさしい味わいで温かい粥を頂き今回最大の目的を果たした。この後は奈良市内の寺社を巡り散策してきました、今回は御霊神社を掲載します。 猿沢の池から南に10分程、春日大社では海外からの旅…
2023年11月19日(日)奈良博を出たあとは、ならまちを歩いてみました。好きなんですよね、こういう風情ある古い町並み。 ならまち格子の家幕末から明治時代にかけて、ならまちに点在した町家をモデルに建てられた「ならまち格子の家」。奈良の町屋を気軽に見学できる人気スポットです。 さっそく中に入ってみましょう♪ 通り庭と火袋入口の土間から続くのは、表通りから奥庭まで通じる「通り庭」。通り庭の上は、「火袋」と呼ばれる吹き抜けになっています。京町家とよく似た作りですね。 おくどさん通り庭の一角にあるのが「おくどさん(竃)」。奈良盆地の冬は寒い。冬は土間から冷気が伝わって足腰がさぞかし冷えただろうと、昔の…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2023年11月14日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「聖武天皇の「汚点」 罪なき人々を自害に追い込んだ「残酷な処世術」とは? 東大寺二月堂のお水取り 皇位継承争いや貴族社会における権力闘争によって命を落とした人々、その多くは、讒言(ざんげん)という姑息な手段によって陥れられたものであった。藤原氏によって排除された長屋王とその妻・吉備内親王も、同様の被害を被って自害に追い込まれている。聖武天皇はその怨霊を恐れ、懺悔し、それが「お水取り」の行事につながったとも言われるが、どう…
藤森神社は、勝運と馬の神様。 拝殿・その向こうに本殿。 南門 西門 境内 馬も通る? 宝物殿・京都刀剣御朱印巡り 絵窓堂 大将軍神社・王城鎮護 紫陽花 主祭神は12柱 本殿中央 本殿東 本殿西 地図 藤森神社は、勝運と馬の神様。 拝殿・その向こうに本殿。 南門 西門 西門を入ると拝殿を横から見る感じでその手前に狛犬があった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 境内 神社入って、ガランとした神社だと言う印象があった。建物や木々は敷地の端にあり、真ん中には南北に長い空間があった。強い日差しが地面にさし、地面の白さが眩しく、暑さが増…
夏の甲子園がはじまりました。もう数校が散りました。 前回(2023/7/31)までの『萬葉集』巻四の配列の検討結果のまとめを行います。(2023/8/7 上村 朋) 1.~20.承前 『萬葉集』巻四(相聞歌)の配列について、巻三にならい予想(作業仮説)をたてて検討してきました。そして巻三と同様に、聖武天皇の後の御代に関する歌群のあることを確認するなど、その予想は妥当なものでした。題詞と歌本文も新たな理解で現代語訳(試案)が出来た歌がいくつもありました。そして巻三と巻四を一体とした検討がこれからです。 なお、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。 21.巻四の検討…
2023年6月24日(土)京都や奈良の古社寺をめぐっていると、出雲系氏族の集落の名残りに出会うことがあります。 大神神社の出雲屋敷や、長谷寺の出雲の里、そして、この下鴨神社周辺の出雲郷も。 下鴨神社周辺の賀茂川に架かる出雲路橋 下鴨神社周辺のこの地域は、かつては上出雲・下出雲と呼ばれていました。7世紀後半~8世紀初めから出雲氏の人々が集落を営み、その氏寺である出雲寺(上出雲寺)が創建されたといいます。 賀茂川右岸に南北に延びる「出雲路」エリア 出雲氏は、アメノホヒ(国譲り神話で高天原から大国主神のもとに遣わされたが、大国主神に心酔して出雲に住み着いた神さま)を始祖とする氏族で、平安京造営以前に…
・天応1年(781) 4.3 光仁天皇の譲位により、山部親王は践祚した(桓武天皇)。(『続日本紀』) ・天応1年(781) 4.4 桓武天皇は、同母弟,早良親王を皇太子とした。(『続日本紀』) ・天応1年(781) 4.15 桓武天皇は大極殿において即位宣命を発した。(『続日本紀』) ※践祚の儀と即位礼はこの時に分離され、以後の恒例となった(米田雄介:監修 井筒清次:編著『天皇史年表』)。 ※即位宣命には、即位の根源として、天智天皇が定めたという「不改常典」が強調されていることから、父,光仁太上天皇のかつての即位とは異なり、新王朝の開始を意味するものであったとも解釈される(倉本一宏『はじめての…
・神護景雲4年(770) 群臣は、称徳孝謙皇帝の遺詔を根拠として、白壁王を皇太子に立てた。(『続日本紀』) 〔参考〕『日本紀略』所引の「百川伝」によれば、左大臣,藤原永手、右大臣,吉備真備、参議,藤原宿奈麻呂・雄田麻呂・近衛大将・蔵下麻呂兄弟、藤原縄麻呂、石上宅嗣らによって合議が行われたのだという。吉備真備は文室浄三や文室大市を推薦したが、結果として称徳孝謙皇帝の遺詔を根拠として白壁王に決定したとされる。その遺詔は雄田麻呂らによって偽作されたものだという。 ※真備の娘,由利は、称徳孝謙皇帝が崩御するまでの100日ほどの間、臥内に1人だけ出入りしていた。そのため真備は娘を通して称徳孝謙皇帝の意向…
都の「上御霊神社」(かみごりょうじんじゃ)は、 平安京遷都の際に桓武天皇の勅願によって 創建された神社で、通称「上御霊さん」と 親しまれています。 「上御霊神社」では、毎年5月1日から18日に 祭礼「御霊祭」(ごりょうまつり)が行われています。 この「御霊祭」は、貞観5(863)年に 「神泉苑」(しんせんえん)で催された 悪疫退散の「御霊会」に由来すると言われ、 1000年以上も続く、「祇園祭」よりも 歴史のある「京都最古のお祭り」で、 京都の春の風物詩として地元の人々に 親しまれています。 「御靈神社」(ごりょうじんじゃ) 御霊祭 祭の起源 御霊祭 御靈神社の御祭神 八柱の祭神 祟道天皇(す…