若きフェノロサがもっと若い岡倉天心を従えて精力的に日本美術の再発掘をするのと同じように、同年輩のコンドルは狩野派の絵師にして浮世絵や戯画までこなす河鍋暁斎の弟子になり、日本文化の虜になります。お雇い外国人二人の来日は共に25歳。青年として来日してからの日本での研究が二人を成長させていきます。 明治政府は積極的にアメリカ、ヨーロッパに働きかけ、様々な分野の専門家を日本に招き、「近代化」を図りました。その結果、19世紀の終わりまでにイギリスから6,177人、アメリカから2,764人、ドイツから913人、フランスから619人、イタリアから45人の教師や技術者が来日しました。彼らは本格的な開拓が必要だ…