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井上源三郎

(一般)
いのうえげんざぶろう

新選組六番隊隊長。文政12年(1829)〜慶応4年(1868)1月5日。享年39歳。
武蔵国多摩群日野(東京日野市)出身。
武州日野宿北原の八王子千人同心で村役組頭も勤めた井上家の三男として生まれる。
天然理心流入門は弘化年間のことで近藤勇、土方歳三、沖田総司、よりも兄弟子に
あたり、源三郎は入門から十三年かけて1860年の31歳に免許を受けた。
慶応4年1月5日の鳥羽伏見開戦から三日目に淀・千両松で薩摩藩兵から応戦中に
銃弾をうけて戦死する。同じく隊士として参加してた甥の井上泰助は、その首級を
持ち帰ろうと途中まで必死に抱えていたが、抱えたままでは自身も危うくなり泣く泣く
刀とともに埋めてしまったという。その埋められた場所はわからない。

井上源三郎について

年齢は勇らより5〜6年上。
甥の泰助が「普段は無口で大人しい、でも一度『こう』と思ったらテコでも動かない」
と語ったことからみても結構な頑固者でもあったらしい。
井上は慶応元年に兄の松五郎に「関東之儀も豊作に伺候」と故郷の豊作を喜ぶ書簡を
送っている。人望も厚かったらしい。

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