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与謝野馨

(社会)
よさのかをる

1938年8月22日〜2017年5月21日に病没。享年78歳

衆議院議員。当選10回。

村山内閣で文部大臣、橋本内閣で内閣官房副長官、小渕内閣で通商産業大臣、安倍改造内閣で官房長官、麻生内閣では財務大臣を歴任。
なお、2004年9月から自民党政調会長を務めている。
祖父は与謝野鉄幹、祖母は与謝野晶子。
趣味は自作PCの組み立て。政界きってのパソコン通である。。→記事ソース
→与謝野政調会長

選挙に弱いが「当選10回」。

東京1区(中選挙区時代も含め)より出馬しているが、選挙の弱さには定評がある。特に同選挙区には民主党所属の海江田万里がおり、同選挙区における知名度・好感度は同氏を圧倒的に下回っているのが実情。当選10回といっても、1972年〜2009年の37年間にかけてであり、そのうち2回が比例復活によるもの。自民党の看板を背負ってなければ落選していたのは明白。

1972年の総選挙で落選。
1976年の総選挙で初当選。
1979年の総選挙で落選(大平内閣「一般消費税」構想の煽り)。
1980年の総選挙で当選(返り咲き)。
2000年の総選挙では落選(比例復活も果たせず)。
2003年の総選挙では小選挙区で落選(比例復活当選)。
2005年の総選挙では、宿敵の海江田万里(民主)を破り小選挙区で当選。
2009年の総選挙では、海江田万里に再び選挙区で苦杯を舐めた(比例復活)。

「下げ潮」派。

財政健全化論者。
いわゆる「上げ潮派」とは正反対の位置にあり、「増税による財政再建を図る」その立ち位置が財務省寄りであることから「守旧派」「下げ潮派」と揶揄されることも多い。

自民党を離党 → 「たちあがれ日本」

谷垣総裁への批判を公然と続け、自民党を離党。
平沼赳夫と合流し、新党を立ち上げ。新党名称は石原慎太郎命名。
→ 「たちあがれ日本」

たちあがれ日本を離党→無所属、民主党・菅直人改造内閣入り(2011)

元々は菅直人がたちあがれ日本との連立をしようと考えたことが最大のきっかけで、たちあがれ側が反対する中、賛成をしたのが与謝野だけだったという。結局、この党の離脱を決意し無所属で菅内閣入りをした。菅直人同様、消費税増税派として知られていた。現在は菅内閣終了後も無所属のままである。

政界引退

2012年に体調を崩して引退。咽頭がんで声帯を失ったことにより、2012年11月16日の衆議院解散により、政界引退。議員生活は足掛け32年に及んだ。
その後、リハビリの末、2013年に声を取り戻した。
2017年4月30日には自民党を復党したばかりだったが、上記に書いた2017年5月に死去。享年78歳。2017年5月24日まで関係者が明らかにした。(その後、自民党が(2017年)5月21日に死去したと正式に公表。)

その他

05年の総選挙で又吉光雄(又吉イエス)の演説中に前を選挙カーで通ったときに直接「腹切って死ね」と言われたがネット上では選挙妨害等又吉を擁護する意見が多かった。

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