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上祐史浩

(一般)
じょうゆうふみひろ
  • 宗教団体「ひかりの輪」代表。
  • 宗教団体アーレフ前代表。
  • 1962年生まれ。福岡県出身。1978年、早稲田高等学院入学。1981年、早稲田大学理工学部進学。同大大学院を経て、1987年、宇宙開発事業団入社。
  • オウム真理教(当時の「オウム神仙の会」)には1986年に入信。その後出家し、外報部長、ロシア支部長、緊急対策本部長などを務める。
  • 1995年、逮捕・起訴され、1997年、東京地裁による懲役3年の判決により服役。この判決は1998年に最高裁で確定し、1999年、広島刑務所を出所している。
  • 1999年の出所後、教団に戻り、2000年の宗教団体アレフの発足にも大きな影響を及ぼす。
  • 2002年、宗教団体アレフ(現在は「アーレフ」)代表に就任。
  • 2006年、アーレフ代表の職を辞し、アーレフからの独立を発表。
  • 2007年5月、自身を代表とする宗教団体「ひかりの輪」発足。

アーレフ在籍時のホーリーネーム:マイトレーヤ 最終ステージ:正大師

アーレフ分裂の中心人物として

  • 2006年半ばまで、アーレフ内部でM派を名乗る。その他「J派」「代表派」とも名乗る。
    • いわゆる「反代表派」が自らA派とかU派と名乗った事実はない。「A派」は上祐による命名で、「アーチャリー」を印象づけるためのネーミングであったが、いわゆる「A派」は「教団」本流であると自認していた。派として対立するという事実そのものを受け入れなかったためである。その後、「代表派」に対して「正統派」を名乗るようになった。
    • 「U派」も外部命名と思われる。内部的には「中間派」と呼ばれていたが、教義的には反代表派である。
  • 3派に分裂というのは現状認識的に正しくない。正確には、「代表派」と「その他」であり、細かく言えば正大師・正悟師一人一人がみな考え方が違い、さらに師や部署内でも微妙な違いがある。
    • ウッタマー正悟師……もともと反代表派の代表的正悟師だった。強硬な言動が多いため、代表派ならびに一部の中間的サマナから反発を買う。その後、代表派を黙認する流れに転向。
    • ヴァジラチッタ・アティ・アッサージ正悟師……一時、修行中のマイトレーヤ正大師を代表として復活させるために動くが、その後急転して反代表の態度を示す。上祐路線には頑強に反対するものの、本人は関西で独立王国的に行動し、教団全体の運営には関心が薄い。「俺は関係ないけど教団が上祐路線になるのは嫌」派。
    • ヴァジラチッタ・ヴァンギーサ正悟師……アッサージ正悟師とともにマイトレーヤ正大師復活のために動いた。しかし、上祐の示した新しい教義については、経典担当の正悟師として拒絶。教団運営の方法論については上祐寄りだが、上祐派についていくわけではない。「みんなそれぞれの考えでやればいい」派。
    • カンカーレーヴァタ正悟師……温厚な性格ゆえ、教団の分裂を憂慮し続ける。経理担当として、代表派の要求にどう対応するか悩む一方で反代表派の動きにも同調できず、一時、教団運営から離れて修行にこもる。その後、上祐路線に同調しないものの、強硬に反発するわけでもない人たちを中心に「中間派」を構成する。ただし、経理上は代表派を切り離すなど、広くくくれば「反代表派(主流派)」になる。「みんな仲良く」派。
    • ヴァジラティクシュナー正悟師……代表派VS主流派の対立が鮮明になったころに桃源クリーム事件で拘留されていたため、蚊帳の外に置かれる。保釈後、教団に戻り、主流派としての立場を表明するが、もともと上祐路線に近い発言が多かったこともあり「上祐に次いで野心の強い人物」と見なされ、また執行猶予期間ということもあって、重要な役目を与えられない状況に置かれる。「上祐がいなくなったら俺だ」と思っている、と思われている派。
  • M派はマイトレーヤという麻原彰晃から授けられたホーリーネームの頭文字。マイトレーヤというホーリーネームを使っている事自体、麻原彰晃からのコントロールが解けていない事を示す。2006年7月、麻原彰晃の影響下に未だ有る新教団を旗揚げしようとする。マスメディアなどへは麻原彰晃の影響下には無いと「ああ言えば上祐」の対応をしている。
  • 2006年半ば、M派内部から離反者が多数出た(M派の分裂)。これは、「グル外し」が名目上のものであるか、それとも文字通りの「グル外し」なのかという点においての解釈のズレが原因である。上祐の考えとしては、一時的に名実ともにグルを外すことによって教団を拡大し、そうして社会に受け入れられた時点で麻原を再評価するというものであるが、その「一時的に外す」のが名目上のものだと理解していた人たちが「一時的にしろ、完全に外すのは認められない」としてM派から離れたものとみられる。この時点でM派でも最も強硬な言動で知られたエーコーディガティン師がM派を離れ、またM派のブレーン的に活動していた中枢のサマナが相次いで離反・脱会。
  • 現在のM派中枢としては、ヴァジラシァーキニー師、スッパヴァーサー師という二人の女性の師の影響力が大きく、ブレーンとしては法務部長ラフチッタ・ヴィナヤ・パデーナムッタ師補などがいる。
  • 教団内部の比率としては、サマナの1割未満。在家信徒ではもう少しM派の比率が高まる。
  • 2006年7月のマイトレーヤ新教団発表のタイミングは、麻原彰晃死刑確定のタイミングに合わせたもの。実際には8月の夏休み越えで、9月に死刑確定がずれ込む。
  • 旗揚げ後、公安警察並びに公安調査庁の家宅捜索を受け、麻原彰晃に関わる物を全て捨てる事を検討するが、麻原彰晃から授けられたホーリーネームであるマイトレーヤや正大師のステージを捨てられるかどうか、捨てたとしても教団が維持出来るのか、注目されている。
  • サリン事件まで、朝生や生ダラなど多数のテレビに出演。
  • 事件以降は広報担当となり、「ああ言えば上祐」「上祐ギャル」の流行語を生み出す程、社会に大きな影響があった。
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