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ロートレック

(アート)
ろーとれっく

Toulouse-Lautrec(1864-1901)。
本名、アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック。

19世紀後半−20世紀前半のフランスを代表する画家。写真は、当時流行しはじめた写真に興味を抱いたロートレックが、フォトモンタージュしたもの。

ルソーの著作にも軍人だった先祖の名前が見られる、名門・トゥルーズ伯爵家に生まれる。実家はトゥルーズから車で一時間ほどの距離にある「赤い町」アルビにあった。地方貴族にありがちな、近親結婚がくりかえされた結果(父母ともいとこの関係にある結婚だった)が原因になったのか、アンリは幼少時からあまり壮健ではなかった。13歳の時、椅子から立とうとして転び、左大腿部を骨折、治療しても骨は、どうしてもつながらなかった。さらに翌年14歳で右大腿部の骨までを、松葉杖で散歩中に沢に落ちて骨折。これらの事故のせいで、彼の両足の発育は完全にとまってしまった。もともと、夫の伯爵には浮気を繰り返され、別居していた母は息子のためだけに自分は生きようと心に決めていたが、こうした不幸な息子の身の上は、彼女を自責させ、深く嘆かせた。

こうして思春期のころから油彩画での自己表現に熱中。

やがてパリに出たロートレックは、当時の人気絵画モデルであり、後にモーリス・ユトリロの母ともなるシュザンヌ・ヴァラドンとも恋愛をするがやがて破局。1890年には親友のヴァン・ゴッホがアルルでピストル自殺未遂をおかし、後に精神病院で死亡。こうした深い痛手を乗り越え、1892年から、彼を一躍有名にするムーラン・ルージュのポスターや踊り子たちの肖像が描かれる。ドガを尊敬し、彼と同じようにオペラ座でのバレリーナなどの習作をまねたこともあったが、より人間らしいモチーフを求め、娼館に入り浸っていく。アルコール中毒と性病によって冒されたのもこのころからだ。34歳で、激しいアルコール中毒(アブサンによるものだったと言われている)による発作をおこして、そのまま、彼の身を案じてパリのアパルトマンで暮らしていた母の伯爵夫人に、ヌイイにある病院に強制入院させられた。退院後も飲みながら描きつづけるスタイルに変化はなく、再度激しい発作を起こし、入院。結局1901年、自分の死期をうすうす感じたロートレックは、アトリエにある気に入らない作品を処分し、描きかけの絵を完成させ、同年9月、母のマルロメの館で36歳で息を引き取った。

最後の言葉は「お母さん、本当にあなただけですよ」。

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