Le Corbusier
スイス生まれのフランスの建築家・建築理論家・都市計画家・画家。ル・コルビュジエ=ソーニエとも名乗る。本名はシャルル・エドゥアール・ジャンヌレ=グリ。
1887年10月6日、生まれ。1965年8月27日、死去。
郷土のラ・ショー・ド・フォンでは装飾芸術を学ぶが、当時教師だったシャルル・レプラトゥニエのすすめで建築を志す。パリのオーギュスト・ペレとベルリンのペーター・ベーレンスのアトリエで短期間であるが働いている。ウィルヘルム・ヴォリンガーの弟子でもあったオーギュスト・クリプシュタインとともにギリシアへの旅に出、その経験は『東方への旅』としてまとめられる。
第一次大戦に前後してドミノ・システムを発表。また第一次大戦後は画家のアメデエ・オザンファンとともに雑誌『エスプリ・ヌーボー』を創刊し、反キュビスム運動であるピュリスムと呼ばれる芸術運動を展開した。そのときの著作をもととして『年鑑(邦訳はエスプリ・ヌーヴォー)』、『建築をめざして』等を出版。
戦間期にはCIAM(近代建築国際会議)の中心的メンバーのひとりとして活動し、『アテネ憲章』をまとめる。また1931年に竣工したサヴォア邸は彼の「近代建築の五原則」を体現したものであるとみなされている。
戦後はインドのジャワハルラール・ネルーらとともにパンジャブ州のチャンディーガル都市計画にも参加する。ピロティ式建築を提唱した。
また晩年のロンシャン礼拝堂などでは、それまでにはあまりなかった造形等を展開している。
1965年8月27日、みずからの休暇小屋があったロクブリュヌ=カップ=マルタンで水泳中に死去。
「家は住むための機械である」という言葉も有名。
2008年1月31日、東京の国立西洋美術館でル・コルビュジエの作品を一括して世界遺産に登録しようと、フランス政府主催の署名式が行われた。
2016年には「ル・コルビュジエの建築作品−近代建築運動への顕著な貢献」として世界遺産(世界文化遺産)に登録された。
マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ