Miroslav Klose (ポーランド語:Mirosław Kloze)
ドイツ代表歴のあるサッカー選手
フルネーム : Miroslav Josef Klose
生年月日 : 1978年6月9日
出身地 : Opole, Poland (オポーレ、ポーランド)
身長・体重 : 183cm・84kg
ポジション : センターフォワード
1999〜04 : 1.FCカイザースラウテルン
2004〜07 : SVヴェルダー・ブレーメン
2007〜11 : FCバイエルン・ミュンヘン
2011〜 : SSラツィオ (イタリア)
打点の高いヘディングと足下の技術を兼ね備える、ドイツでも屈指のストライカー。
ポーランドのオポーレ出身だが9歳でドイツに移住し、1999年に1.FCカイザースラウテルンでプロデビュー。ポーランドとドイツの両代表から招集を受けた際にはドイツ代表を選択している。2002年に行われたFIFAワールドカップでは、ロナウド(ブラジル)に次ぐ得点ランク2位となる5得点でドイツの準優勝に貢献した。
その後やや伸び悩むが、2004年ヴェルダー・ブレーメンへ移籍。2004-05シーズンは15得点を記録し復活を印象付けると、2005-06シーズンにはブンデスリーガ出場26試合で25得点を挙げ得点王を獲得したのみならず、14のアシストも記録し、チームのシーズン総得点の半分に絡む抜群の働きを見せた。
また2005年4月30日、ヴェルダー・ブレーメン対アルミニア・ビーレフェルト戦では、0-0の時点で自らが得たPKに対して「自分が倒れただけで、PKではない」と審判に申告し、PKと相手選手への警告を取り消させた。その後試合はクローゼ自身のゴールもあって3-0でブレーメンの勝利。このプレーによって、クローゼはドイツオリンピック委員会から「フェアプレー賞」を受賞した。
2006年、自国開催のFIFAワールドカップで得点王(5点)を獲得。
2007-08シーズンから、バイエルン・ミュンヘンへ移籍。2009-2010シーズンは出場機会が減少し、リーグ戦ではわずか3得点に終ったが、ドイツ代表ではエースストライカーとして活躍。3大会連続出場となった2010年のFIFAワールドカップでは、4得点を挙げ、ワールドカップ通算得点数をゲルト・ミュラーに並ぶ歴代2位の14得点とした。
2011年6月、バイエルン・ミュンヘンとの契約満了に伴い退団。イタリアのSSラツィオに2年契約で移籍。
2014年のFIFAワールドカップにおいて、自身の大会通算得点を16に伸ばし、W杯での個人最多得点記録を更新。
2015年夏で引退する旨が報道されている。