生年月日 | : | 1968年2月23日生まれ、牡、鹿毛 |
生産者 | : | Paul Mellon(米国) |
父 | : | Never Bend(ネヴァーベンド) |
母 | : | Milan Mill |
母の父 | : | Princequillo(プリンスキロ) |
馬主 | : | Paul Mellon |
管理調教師 | : | Ian Balding(英国) |
競走成績 | : | 14戦12勝(英・仏) |
主な勝ち鞍 | : | デューハーストS 英ダービー エクリプスS キングジョージ6世&クイーンエリザベスDS 凱旋門賞 コロネーションC |
1970年代のヨーロッパを代表する名馬。史上初めて、ヨーロッパ三大レース(英ダービー、キングジョージ、凱旋門賞)を全て勝利した。馬名はカリブ海・西インド諸島の一つ、アンティグア島にある美しい海岸のこと。
小柄な馬体ながら抜群の身体能力を持ち、ほとんどの勝利を楽勝で飾り、その強さは前年の英三冠馬であるニジンスキー以上とも言われた。しかし、3歳春の英2000ギニーでは同期にいたもう一頭の歴史的名馬、ブリガディアジェラードの末脚の前に3馬身差の完敗を喫してしまった。その後両馬が活躍を重ね、名馬として認められていくにつれ、再戦を望む声が高まったが、3歳時は互いに異なる路線を歩んだため、4歳時は対戦を目前にする度にミルリーフに病気や骨折のアクシデントが襲ったため、結局その機会は巡ってこなかった。さらにこの骨折は普通の馬ならば安楽死の処置が執られるであろうほど重度なもので、手術により命こそ奇跡的に取り留めたが、競走生活に終止符を打つことになってしまった。
骨折から回復したミルリーフはイギリスのナショナル・スタッドで種牡馬入りした。種牡馬としても大成功し、シャーリーハイツやレファレンスポイントなど多くの名馬を送り出した。ミルリーフ自身は1986年に心臓病のため死亡してしまったが、その父系はシャーリーハイツ→ダルシャーンの系統を中心に活躍馬を送り続けている。日本でも人気が高く、1980年代に多くの直子が種牡馬として輸入された。その中からミルジョージやマグニテュードなどが成功を収めたが、現在ではサンデーサイレンスやブライアンズタイムなどに押され、勢力をほとんど失っている。ちなみに、日本のスニーカーブランド「MillReef」のブランド名はこの名馬にあやかったものである。
Never Bend | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | |||
Mumtaz Begum | Blenheim | ||
Mumtaz Mahal | |||
Lalun | Djeddah | Djebel | |
Djezima | |||
Be Faithful | Bimelech | ||
Bloodroot | |||
Milan Mill | Princequillo | Prince Rose | Rose Prince |
Indolence | |||
Cosquilla | Papyrus | ||
Quick Thought | |||
Virginia Water | Count Fleet | Reigh Count | |
Quickly | |||
Red Ray | Hyperion | ||
Infla Red |