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ミッドウェー海戦

(社会)
みっどうぇーかいせん

Battle of Midway

1942年(昭和17年)6月に行われた海戦。
ミッドウェー島攻略を目指した日本側に対し、暗号を解読していた米側は作戦を看破しこれを迎撃。結果、日本側は基幹となる航空母艦4隻すべてを喪失。これにより日本側は太平洋でのイニシアティブを喪失、8月にはガダルカナル島への上陸をもって米側の反撃が始まることとなった。

背景

太平洋戦争開始後、日本側はあらゆる予想を覆す快進撃を見せた。同時に、「リメンバー・パールハーバー」の合い言葉の元に結束した米国民の抗戦意欲はまったく衰えず、戦争終結の目途はまったく立たない状態だった。のみならず、日本海軍内においても、今後の作戦についての分裂が存在した。大掴みに言って、本来の作戦指導機関である軍令部はフィジー、サモア等を制圧してオーストラリアの戦争離脱を促す米豪遮断作戦(FS作戦)を企図し、一方実働部隊の長たる山本五十六連合艦隊司令長官はミッドウェー島攻略後のハワイ攻略作戦を目指していた。どちらも戦前の予定(と日本の国力)を超える作戦であり、いずれを遂行すべきかは定かではなかった。

4月に行われたドゥーリットル隊空襲の影響もあり、日本側は米豪遮断に向けた拠点であるポートモレスビーを攻略し、さらにミッドウェー島攻略作戦を行うこととなった。
5月に行われた珊瑚海海戦は史上最初の空母機動部隊同士の激突となり、いずれの艦隊も敵艦を直接視野に入れることなく、空母から発進した航空機による攻撃で戦われた。この海戦でアメリカ側は空母1隻を喪失、1隻が大破するという損害を受けたが、勝ったはずの日本側も航空機を中心に損失が大きく、参加した第五航空戦隊はしばらく戦闘に参加できない状態となった。ポートモレスビーの攻略も断念され*1、アメリカ側が初めて日本側の戦略企図を阻止した戦いとなった。

MI作戦

珊瑚海海戦後、今度はミッドウェー島攻略作戦が実施されることになった。作戦は大規模かつ複雑な物で、まず陽動としてアリューシャン列島に攻撃を行い、その後本隊がミッドウェー島攻略を行うこととなっていた*2。さらに本来の作戦目標も分裂しており、ミッドウェー島の攻略か、出撃して来るであろう敵機動部隊の撃滅であるのか、はっきりしないものだった*3。また、開戦時のハワイ攻撃作戦と比べた場合、作戦企図の秘匿や準備などの面で油断が目立ったとされる。この作戦目標の不明確さが、日本大敗の原因となる。相手の機動部隊の存在に気付いたのは両軍ほば同時であったが、日本軍が基地攻撃用爆弾を空母攻撃用爆弾に取り替えた直後、アメリカ軍の攻撃を受ける。山口多聞中将の「ただちに航空機の発進の必要ありと認む」との具申は無視された。時間にしてそのロス2時間。これが致命的だった。
一方で米側は暗号解読努力などにより日本側の攻撃目標をほぼ把握、アリューシャン列島を「捨て」て、さらに珊瑚海で大破した空母ヨークタウンを突貫工事で復旧させるなどの努力により、ミッドウェー方面に戦力を集中することに成功した*4
以上のような前提により、1942年6月5日に行われた海戦で日本側は主力となる空母4隻すべてを喪失する大損害を喫した。先の記述の山口多聞中将は、唯一無事だった飛龍を率いて善戦するが、飛龍も沈められ、中将は船とともに海中に沈む。
アメリカ側の損害も小さな物ではなかったし、日本側も残存空母を中心に機動部隊の早期再建に一応は成功している。とはいうものの、日本側はミッドウェー島の攻略を断念し、2ヶ月後、ガダルカナル島への上陸が行われ、アメリカの反撃が開始されることとなる。

ちなみに、この戦闘の最中、連合艦隊司令長官の山本五十六は、後方で安全な戦艦大和の艦上で将棋を指していた。

*1:一応、後に陸上から攻略が企図されているが失敗

*2:相手が陽動に乗らない場合、戦力の分散に他ならない行動である

*3:その後この分裂が絵に描いたようなジレンマとして日本側指揮官の南雲長官を直撃することになる

*4:日本側の五航戦の不参加などもあり、作戦地域の航空機の頭数では米側が上回っていた

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