1950年7月16日、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行われたFIFAワールドカップブラジル大会決勝リーグ第3戦、ブラジル対ウルグアイの試合で、ブラジルが優勝を逃した悲劇。
スタジアム内で2人の自殺、2人のショック死、30人近くの失神者が出た。
これによりブラジル代表は白色ユニフォームを完全に封印。国旗と同色のカナリア色に変更した。
1950年のW杯において、当時サッカー新興国だったブラジルは決勝リーグのスウェーデン戦を7対1、スペイン戦を6対1で勝利し、ウルグアイ戦で勝つか引き分ければ優勝というところまで辿り着いた。
そのウルグアイ戦で後半2分にブラジルが先制。優勝は確実かと思われた矢先、ウルグアイが後半21分に同点とし、後半34分に逆転ゴールを決めて2対1に。そのまま試合は終了した。会場のマラカナン・スタジアムでは2人の自殺、2人のショック死、30人近くの失神者が出たとされている。
ブラジル代表は初めて白のホームユニフォームを着て臨んだ試合だったが、これを機に封印され、国旗と同色のカナリア色に変更された。
ペレの自伝によると、この時9歳だったペレが嘆き悲しむ父親に
「悲しまないで。いつか僕がブラジルをワールドカップで優勝させるから」
と励ましたという記述がみられる。
8年後のワールドカップ・スウェーデン大会でブラジルチームは、ワールドカップ初優勝を果たしている。