タイトルからして意味不明だと思う。そもそも「諏訪跨線橋」とは何ぞや?…だろう。今回は、四日市鉄道㈱(※現在の近鉄湯の山線)が大正初期つまり鉄道敷設最初期に計画していたと思われる、現在の四日市市諏訪付近での三重軌道㈱(※後の三重鉄道㈱、現在の四日市あすなろう鉄道㈱)との「立体交叉(オーバークロス)」について検証してみる。 当ブログでは何度も「三重軌道㈱と四日市鉄道㈱は諏訪付近で交叉する計画だった」と書いてきた。同時に、四日市鉄道㈱は「明治43(1910)年(軽便)鉄道敷設免許下付当時は諏訪付近で三重軌道㈱線路と跨線橋にて立体交叉(オーバークロス)する計画だった」とも追記していたと思う。その根拠と…