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マックス・エルンスト

(アート)
まっくすえるんすと

Max Ernst (1891年4月2日 ブリュール-1976年4月1日 パリ)
シュルレアリスムの代表的画家の一人。ドイツ、ケルン近郊のブリュールに生まれる。
1919年からケルン・ダダの主要メンバーとして活動。ジョルジョ・デ・キリコに強い影響を受ける。この頃から百科事典や小説、美術史の書物の図版や写真を切り取って組み合わせるというコラージュの手法を用いるようになった。翌20年にアンドレ・ブルトンの招きの応じてパリで展示を行い、ポール・エリュアールとの交友を通じてパリ・ダダに協力。1922年にパリに移る。
初期シュルレアリスム運動における絵画の位置付けをめぐる議論のなかで、エルンストのコラージュ作品はエクリチュール・オートマティック(自動記述)に匹敵する新たな造形的手法を提示しており、ルイ・アラゴンらによって高く評価された。コラージュの他に、《博物誌》におけるフロッタージュ(こすり出し)や、《森》などに用いられたグラッタージュ、あるいは30年代の密林を主題とした作品群に見られるデカルコマニーなどが有名である。1937年には独自の絵画論『絵画の彼岸』を刊行した。
第二次世界大戦が勃発した1939年に、適性外国人として抑留される。1941年、ペギー・グッゲンハイムに同行してニューヨークに渡り、ブルトン、デュシャンらとともにシュルレアリスムの活動を行う。46年には画家ドロテア・タニングと結婚、アリゾナに農家を買い取って移住。1953年にパリへ戻るが、54年ヴェネツィア・ビエンナーレで大賞を獲得したためシュルレアリストを除名される。

シュルレアリスム運動における重要度に反して、とりわけ国内ではまとまった展覧会や書籍が少なく、サルバドール・ダリやルネ・マグリットらに比べ知名度が低い。

国内の主な作品

  • 《ニンフ・エコー》1936年、新潟市美術館
  • 《ポーランドの騎士》1954年、愛知県美術館
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