Bosman ruling
1995年にベルギー人選手のジャン=マルク・ボスマン(Jean-Marc Bosman)の勝訴によって決まった、移籍の自由に関するヨーロッパ司法裁判所による判決の事。現在の欧州サッカー・移籍市場の価値観を大きく変えた事件である。
ベルギーリーグ1部のRFCリエージュと1988年に2年契約し同クラブで2シーズンプレーしたベルギー人選手ジャン=マルク・ボスマン(Jean-Marc Bosman)が、クラブからの1年間の契約更改を拒否して、オファーが来ていたフランスリーグ2部のUSLダンケルクへのオファーを希望した。
しかし、当時の移籍規定では契約終了後も選手の「保有権」はクラブが持っていたので、クラブが認めない限り移籍は成立しなかった。
RFCリエージュは、オファーされた移籍金の額が低い事やUSLダンケルクの支払い能力の低さから、既にボスマンは新チームの構想から外れていたにも関わらず、オファーを拒否。しかもボスマンを選手登録をしなかったため、ボスマンのキャリアは宙に浮いた格好で実質的に失業状態に置かれた。
これに対してボスマンは、RFCリエージュとベルギーサッカー協会を訴えた結果、1990年11月に勝訴し、本来支払われるべき賃金の支払いと移籍(フランスリーグ3部のオリンピック・サン・カンタン)が認められた。
ボスマンは更にヨーロッパ司法裁判所にも、UEFAとベルギーサッカー協会に対して「サッカー選手も労働規約を尊重されるべきであり、契約が終了した選手は自由に移籍できる、労働者としての基本的人権がある」と訴えた。
裁判はかなり長期に及んだが、この訴えも認められ、EU裁判所の判決は「ボスマン判決(Bosman ruling)」として広く知られるようになった。
ベルギーユース代表では24キャップのキャリアを持つボスマンだったが、この判決に長い月日を費やした事で選手としての円熟期を不意にした事や、判決以降はUEFAを敵に回した彼を獲得するクラブはなかなか現れなかった為、早々とそのキャリアを閉じる事になったのは皮肉な話である。