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ペシュメルガ

(一般)
ぺしゅめるが

イラク北部クルド自治政府の治安部隊(事実上の国防軍だが、バグダット中央政府からは正規軍と認められていないので、公には重武装民兵だが、黙認はされているので自治区の治安部隊or州兵とほぼ同義ともいえる)。「死に向かう者」という意味で、文字通りに死を恐れない勇猛さで知られる。(他のイスラム教スンニ派国家と違いトルコ同様世俗性が高く、イスラエル並みに女性兵士率が高いというムスリムでは異端的特徴もある→世俗国家のトルコですら前線部隊様の女性軍人はいない)
前身は、フセイン政権下、ゲリラ組織として山岳地帯を拠点にサダム・フセインに抵抗していた極少数の抵抗組織だったが、1991年の湾岸戦争に際し、クルド人住民はサダム・フセイン大統領に反抗する決起を行い、米英軍がイラク北部に飛行禁止空域を設けて保護したので、事実上バグダッドのバアス党政権の支配を離れて完全自治を獲得。
しかし、イラク・クルド人勢力の二大政党であるクルド民主党とクルド愛国同盟の対立が激しく続き、1994年、1996年、1997年には数千人が死亡する大規模な戦闘が発生し、クルディスタン地域は二大政党支配地域に分裂した。
しかし、この間秘密裏に米国の後援で約数百人規模程(もっと多いとの説も)のクルド人民兵が英連邦地域で士官候補生扱いで訓練を受け、これが現在のペシュメルガの中核(将校クラス)を担う事になる<※米国の後援で初期の英連邦地域への留学者帰国し、正規軍並みに組織化した時点での兵力は約4万人程度だったとされる>。
このため、2003年のイラク戦争により崩壊したバアス党政権後国内外のテロリストの侵攻により内戦に陥ったイラク国内の中でも、クルド人自治区内だけは、ペシュメルガの活躍で、テロリストの侵入も許さず、かつ自治区内の治安は完全に保たれた。
そののち米国の仲介により両勢力は停戦と政治的対話の継続に合意し、2005年の総選挙前に和解し、両派に分かれていたペシュメルガも完全に統合され、強い民族忠誠愛国意識(将来の自治拡大+独立の為)と、米軍等の支援によりほぼ新式の兵器・兵站能力をもつため、クルド自治区の人口835万人の数倍以上の国家クラスの軍事能力を持つとされ、2011年のシリア内戦勃発時には、20万人を超えるまでに兵力は拡大するに至る(予備役を含む)。
2014年のISISの侵略により、2003年のイラク戦争後の内戦では許さなかった、自治区内侵攻を許し、現在もクルド自治区内西部国境地域で戦闘中だが、クルド自治区内では、ISISの拡張をにストップをかけるほど巻き返し、またイラクのシーア派政権の軍隊が頼りにならないため、自治区外の北部要衝地域にも出兵し(※このドサクサに便乗し、かねてから領有権を主張していた自治区外の大油田地帯のキルクークをISISから奪還後も、イラク中央政府に返上せず無断占領中)、足並みがそろわないことと第二アフガン・ベトナムの泥沼を恐れる事により、地上軍を派遣できない有志連合(事実上米軍組織)、に変わってISISに対抗できる唯一の地上部隊として、2014年10月には、積年の敵対関係のトルコ共和国を通過(米国の強い圧力でトルコ国内のクルド人に接触しない条件でトルコ政府は黙認)して国境を超えシリアのクルド人<※クルド人民防衛隊 (YPG) >救援のため、初の対外出兵を行い(※後の情報でトルコ政府の圧力により、ごく少数の軍事顧問団クラスしか越境は許されなかった)コバニ(アインアルアラブ)でイスラム国と約4カ月半の市街戦の激戦の末、2015年1月26日に街からイスラム国兵を撃退する事に成功した。

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