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ヘラクレイトス

(一般)
へらくれいとす

紀元前の古代ギリシアの哲学者(原語により忠実に訳するならば、「知を愛する者」であり、愛知者とでも訳せられ得ようか?)である。

いわゆる「万物流転( Τα Πάντα ῥεῖ (Ta Panta rhei). "everything flows" )*1を巡る様々の思索を凝らした、とされる。
彼は「火!」を以て、万物のアルケーとなしたのであった*2

著書といわれる『自然について』は現存せず、引用によって諸断片が我々にまで伝存するのみである。…この書は『万有について』『政治について』『神学について』の三書を総合したものであるとも言われる。


また、その著作の独特の難解さと一種の厭世観とから、「暗い哲学者」、あるいは「泣く哲学者」とも通称される。
ヘーゲルなどの弁証法的思惟様式の諸源流の一つと考える向きも少なくない。


基本的な参照文献としては先ず、ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』(岩波文庫) ISBN 4003366336を我々は第一に挙げうる。そこに於いて我々は、子供達とサイコロ遊びに興じたり、奇妙で滑稽でさえありうるような最期を遂げたヘラクレイトスのそのような破天荒(?)な生涯の活き活きとさえしている活写に遭遇しうるのであり従って其れは我々にとって、実に興味深いものであると言うことも出来よう。

*1:このフレーズはプラトンが記しているところでありこそすれ、実際のヘラクレイトスの著作断片――これは例えば、ディールス=クランツ『ソクラテス以前の哲学者断片集』「ヘラクレイトス B」1951年、等に収載せられている。――そのものには収載せられておらず、従って我々は、これが後世の者らの造語であるという可能性を完全に否定し去ることは出来ない。…「同じ河に二度入ることはできない」という表現からの連想である可能性もあるだろう。

*2:但しこのアルケーというギリシア語の根本概念は必ずしも一義的ではなく、例えば周知のとおりタレス(ターレス)はアルケーを「水!」と観じたが、これと同様にしてヘラクレイトスのアルケー概念を考えることは、それ相当の解釈上の危険を敢えて冒すことを意味しうる。

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