1905年10月、当時まだ地理的に空白だった、ヒマラヤ山脈の北、チベット高原中央部から南部にかけての地帯を踏破して禁断の聖都ラサへ足を踏み入れるという壮大な意図を胸に、ヘディンは第三回中央アジア探検へと向かった。 その出発点となるインドまでは、普通なら船でゆったり――というところだろうが、ヘディンはそこまでの道筋にも数多の探検の種を見出し、イラン砂漠を横断してバルチスタン経由でインドのシムラへ入った。 この道程を記録したものが、白水社刊ヘディン探検紀行全集第5, 6巻「陸路インドへ」であり、ヘディンの探検と著述への熱意には驚嘆せざるを得ない。 ヘディンは第三回中央アジア探検について模索しながら…