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プロレス

(社会)
ぷろれす

日本の3大監査法人である、「新日本監査法人(正式名称:新日本有限責任監査法人)」の隠語

新日本プロレス」に由来。

プロレス

(スポーツ)
ぷろれす

概要

「プロフェッショナル・レスリング」の略称。職業化されたレスリング。海外では日本のプロレスを指して「puroresu」という表記が使われることが有る。

歴史

シュート時代のプロレス

 プロレス以前のレスリングには二つの流れが有った。一つはフォーク・レスリングであり、もう一つは兵士の技能の様な実用的格闘術としてのものである。
 フォーク・レスリングは庶民的な簡略化されたレスリングであり、地域によって異なる慣習的なスタイルとルールが有った。その昔は村祭りの出しもの程度に行われたが、熟達した者が現れると賞金を懸けた大会も開かれる様になり、そのうちレスリングだけで生計を立てる者も出てきた。
 一方ナポレオン軍の兵士が訓練のために考案したグレコローマン・スタイルは、瞬く間にヨーロッパ大陸で人気を博し、各国の都市で大会が開かれ、有力な選手は厚遇される様になった。
 こうしたことからプロのレスリングが確立したのは、大体19世紀の半ば頃とされている。この時期のプロレスは主に「シュート」である。アメリカ合衆国などの英語圏ではキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが、大陸ヨーロッパではグレコローマン・スタイルが特に人気を集めた。
 1896年の第一回近代オリンピック・アテネ大会ではグレコローマン・スタイルが、1904年セントルイス大会ではフリースタイルが初めて行われたが、これは当時のプロのルールから危険性の高い技を引いたものであった。アマチュア・レスリングはこれによって確立した。

ワーク時代のプロレス

 シュート時代のプロレスは、特に選手の名誉を賭けた重要な試合になると、互いに慎重になって動きが少なくなり、時間ばかりかかる様になりがちだった。それでも客を呼ぶことができた時代は、1910年頃には去りつつあった。社会的・経済的要因や、這い寄る世界戦争の影により、のんびりしていられなくなり、観衆の嗜好は変化して行った。
 このため1920年代には「ワーク」を主体とした娯楽性の高いプロレスが確立した。これは現在の我々も慣れ親しんでいるスタイルの基礎である。

受け身の導入

 1950年代、日本にプロレスが定着し始めた時期、主な選手は柔道や大相撲の出身者だった。彼らはその出自から「受け身」という概念をプロレスに持ち込んだ。その技術はプロレスの技やリングに合わせて変化し、「プロレスの受け身」として徐々に確立して行く。
 受け身が有ることを前提とすることで、大技が発達し、テレビ映えのする派手な動きが増えた。このためもあり、プロレスはテレビの成長期において人気の番組ともなった。
 後には、選手の交流によってアメリカやメキシコにも持ち込まれ、世界のプロレスを変えることとなった。

ルール

 近代オリンピックの開始によるアマチュア・スポーツの確立前はそれが普通であった様に、現在のプロレスにも統一ルールは存在しない。地域や時期によって異なる多くの変化形が有り、その全てを記すことはできない。
 多くの場合に共通する点は、両肩をマットに着けて3カウントを取るピン・フォールによる決着、ロープを掴んだら技を解いて離れること、頭部へのパンチの禁止などである。

誤解

 プロレスは専門性が高く、部外者には理解しにくい点も有ることから、誤解も生じてくる。またプロレスと称する類似の見世物が誤解の元になることもある。
 前述の様に初期のプロレスから派生したものがアマチュア・レスリングだが、アマレスからプロレスができたと反対の思い込みをする者が少なくない。
 筋書きが有るという憶測も多いが、とんでもない。ただ種や仕掛けが有るだけである。

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